どうでもいいこと

気になったことを 気になったときに 長文で

【崩スタ考察】当事者の言動からその心理を洞察し、飲月の乱とその周辺のストーリーを編んでみる

前回、飲月の乱の詳細には触れず目的は恐らく羅浮を守るため、仲間達側につくためのものだろうかと書いた。

それで終わりにしようかと思ったが、やっぱりもうちょっとそこに至るまでに考えたことをまとめておこうと思い直した。

なので、今回はその詳細に少しでも近づいてみたいと思う。

 

詳細に近づいてみたい……そう願っているが、実は現状では不可能である。

 

なにせ推測にするのに必要な情報が断片的すぎかつ、偏りすぎている。

断片的でも複数視点での情報が存在し、なおかつ総量が多ければ真実に近づける可能性は増すが、現状、真理に近づくために有益な情報は景元発と刃発のものしか存在しない。

モブが語る話や書物など、公になっているものは、こういう場合全く当てにならない。

なにせ、歴史というものは施政者によって都合よく改竄されるものである。そこにはフィクションもノンフィクションも関係ない。実際、ゲーム中でもすでにベロブルグでそれが行われた。

真実は当事者にしかない。

 

しかし、その真理に近づくために必要な情報提供者が今の時点ではたった2人。

しかも、ひとりは策謀に長けた人間、もうひとりは設定上正気でない人間である。

心もとないにもほどがある。

 

そのため、これは考察でなく飛躍したただの想像である。

自分は心理面からの分析と事実の統合が性に合うので、彼らの言動をもとに想像を膨らませ、限りなく整合性のとれるストーリーを編んでみたい。

 

ちなみに目次からすでに盛大にネタバレしている。

雲上の五騎士周りと飲月の乱についていちから自分で深めたい、とお考えの方はすぐに引き返してもらった方がいい。

 

 

 

 

「飲月の乱」の大筋に影響の大きい事柄を整理する

 

有り得そうな筋書きをあぶり出すために、まずは「飲月の乱」のストーリーの分岐点になりうる、重要ポイントを整理してみよう。

 

 

飲月の乱で不死となったのは誰か?

そもそも誰かが不死になったかのかすら怪しい。

現在確認できる情報からは確証がない。

ただ、刃が豊穣にまつわる何かによって不死と自己治癒力を有しているのは彼の天賦名、「倏忽の恩賜」から間違いなさそうである。

そして、飲月君が仙舟に不老をもたらした建木の封印に関わっている以上、そこに関連していると考えるのは自然かと思う。

なので、ここでは飲月の乱に関連して刃が不死となったと仮定して考える。

刃以外だと話が相当ややこしくなる。

現状でこれが刃以外となると、話の幅が広すぎて最早収拾がつかない。

 

 

景元が将軍となったのはいつか

飲月の乱の前、雲上の五騎士が活躍していた時代に景元が将軍だったとは考え難い。

普通「剣首」と「将軍」は同列に扱われないかと思う。

飲月の乱の後であったことは間違いないだろうが、最中なのか、直後なのか、もう少し後なのかによって話が変わってくる部分がある。

ストーリーを編む過程で無理のない時期を推測してみたい。

 

 

「人は5人代価は3つ……」これは誰の言葉か?

この重要そうな言葉の初出は刃から景元に向けてである。

刃のボイスによれば、「この言葉は傷口の一つ一つに刻み込まれている」とのこと。

だとすれば、刃は言い出しっぺではなく、誰かにかけられた言葉であると考えるのが自然だ。

状況からすると、発言の大元は鏡流か景元であると思われる。しかし、どちらかが言ったかによって、代価の中身が変わってくる。

鏡流が言ったのであれば、3つの代価は丹楓・刃・狐族の女性

であるし、

景元が言ったのであれば、3つの代価は丹楓・刃・鏡流

ということになろう。

しかも、後者の場合、この言葉は鏡流が魔陰に落ちた後で出てきたということになるので、飲月の乱の後相当の期間景元と刃はコミュニケーションを取れる状態にあったことになる。

……いや、景元もその言葉に縛られている節があるので、言い出しっぺは鏡流が妥当かと思う。

 

 

狐族の女性が関わるか

これが深く関わるとなると、最早伏線の全くないミステリーを推理するようなことになる。さすがにそんな無理ゲーであるわけがないだろう。そう思いたい。

あくまで間接的な関与と仮定して進める。

 

 

鏡流の魔陰落ちは想定内か想定外か

想定内……意図的な魔陰落ちだとすれば、話はかなり壮大になり、収集がつかない。そのうえ、景元がピエロに成り下がる。想定外であると仮定して進める。

 

以上の仮定を前提として、矛盾のないストーリーが編めるかやってみよう。

 

 

「飲月の乱」の有り得そうな筋書き その1

内乱か敵襲か何らかの理由により、羅浮雲騎軍が劣勢となる

戦の最中に刃が致命傷を負うなどする
もしくは、すでに老域にあり隠居して死に瀕しているなどする

「刃がいれば……」や「刃を死なせるのが惜しい」のような意見が出てくる。雲上の五騎士の四人もちょっと考えないでもないが、それは巡狩の恩恵にあずかる羅浮ではとても不可能。

議論がまとまらないまま丹楓が自分が責任を引き受ける、とか何とかいって皆の賛同を得ないまま行動を起こす

建木の封印を解き、刃が不死身になる
飲月は他者の目を刃から逸らすために水と雷を操って大暴れ
その過程で、残念ながら同胞を傷つけたりもする

捕まった飲月は幽囚獄に幽閉。「自分が不死を求めてやった」の一点ばり

不死身になった刃に鏡流がゾンビ稽古を積ませ、脅威を排する

飲月の処遇について議論される。
※この時すでに景元が将軍になっているとしたら、手助けができるが、そうではなさそう

飲月の沙汰が決まる。

転生を待ち、島流しになっても生きていけるよう刃が相手になって槍を教える

脅威が去り、丹楓もいなくなり、刃は自分の存在意義を見失う。

魔陰の兆候が見られるなどする。

景元が刃を舟外に出すための根回しなどする。
※この頃には少なくとも将軍になっていないとおかしい

もしくは、ふらりと居なくなる。

丹楓はいなくなり、刃も去り、狐族の女性もいなくなった鏡流が心労がたたって魔陰を発症。泣く泣く景元が討つ。

 

 

どうだろう、少し怪しい……というか、強引なところがないわけでないが、一応整合性は担保されているのではないだろうか。

 

「人は5人代価は3つ…」の言葉が鏡流のものなら、ゾンビアタック稽古の際に刃にかけられたと考えるのが自然だ。また、景元も同様に鏡流から言われていた可能性もある。この場合、狐族の女性はすでに(いろんな意味で)故人だろう。後述する。

 

この言葉がもし景元発のものであれば、鏡流が魔陰に落ちたあとのことであるから、景元と刃の2人の間だけで交わされたものになる。

 

この筋書きだと一応整合性はとれている。

取れてはいるが、少々疑問が生じるのは否めない。

 

 

 

「飲月の乱」の有り得そうな筋書き その2

仙舟同盟内に「薬王秘伝」に組する、同盟の権力者を擁する組織が存在する。

不老不死を望む持明族はその組織とズブズブである

身内(龍師の一部とそのとりまき)にそのような輩がいることを知り、怒った丹楓が暴れる(=飲月の乱)わが身諸共滅ぼしてやる的な。

止めるつもりで現場に行ったか、居合わせた刃がそのどさくさで不老不死になる。

怪しげな反乱組織を調査中だった景元、鏡流は寝耳に水。

捕らえられた丹楓に事情を聞くが口を割らない。「持明族は不死を望んでいる」とかなんとかいう。持明族は龍尊が勝手にやった、とかいう。

不死となった刃からふたりは事情を聞く。

飲月の処遇について議論される。

飲月の沙汰が決まる。

転生を待ち、島流しになっても生きていけるよう刃が相手になって戦い方を教える

不死身になった刃に鏡流がゾンビ稽古を積ませる。

お前が側にいながら、何やっていたんだ的な。

ついでに、せっかく不死になったのだから戦力として有効活用しよう。

丹楓の仇討ちだ……?

 

こちらの筋書きはけっこう厳しい。

鏡流の行動があまりにも突飛すぎて、鏡流が丹楓に特別な強い感情があって、なおかつ刃が鏡流に特別な感情があったという条件が必要になる。

それにしても私情が入りすぎて、「人は5人代価は3つ」の件が死んでいるうえ、景元が空気すぎる。

 

筋書き1の方がまだ無理がない。

無理はないが、若干疑問が残る。

以下に疑問点を整理していく。

 

 

 

「一意孤行の末、彼とともに愛する者を化け物にした」の件は?

刃が実装される前から、彼のことを表していると目されていた遺物、流雲無痕の過客の逸話の一説である。これがかなり曲者なのだ。「愛する者」が鏡流のことであれば上で挙げた筋書きでしっくりくるが、刃の彼女への態度が「愛する、も、の……?」と思わせざるをえない。

 

刃は鏡流について以下のように語っている。

剣を振るう時、体に幻痛が走る──どこが致命の一撃となり、どこが死に至らず苦痛を与えるだけなのか──すべて、あの女の「おかげ」だ!

 

また、丹恒に致命傷を負わせて覚醒させた後、彦卿と対峙した際に彦卿が使った技を見て……

 

その剣…見覚えがあるな
あの女に教わったか
ならば、貴様には死んでもらおう!

 

このようにも言っているのである。

とても、愛する者に対する言動に見えない。少なくとも普通の感性では。

 

ただ、刃ちゃんは内心とは裏腹に盛大に憎まれ口をきく傾向が見られるので、スケールのおかしいツンデレのツンと解釈できなくもない。

 

刃の使っている支離剣は仙舟の最高の剣士だけが神髄を引き出せるらしいが、もともと鏡流が使っていたもののようだ。

鏡流が彦卿に「自分に勝てないのなら刃にも当然勝てない」という主旨のことを言っていたので、苛烈な稽古の結果、刃は鏡流を上回り、それを鏡流が認めたのだろう。もしかしたら彼女自身の手によって、正式に支離剣を譲られたのかもしれない。

そして、刃はその剣を静かに目を閉じて抱えるモーションがある。大事そうに抱えているように見えなくもない。

しかも、ふたりは同じように剣を構えるのだ。心から恨みがましく思っていたら、そんなことするだろうか。

 

刃の憎まれ口としては、間接的に景元を認めているような主旨のものも確認できている。

彦卿が登場した際に、刃は以下のように言っている。

 

景元についている小僧か…

ふん、奴は時機の見極め方を教えなかったようだな……

 

これは、「景元は時機の見極め方を知っているくせに」ということで、婉曲的に彼を認めている発言である。

このように憎まれ口をたたきやすい傾向に、魔陰でネガティブが凝縮された状態であることも加味すると、行き過ぎた親愛の表現と思えなくもない。

 

ちなみに、別の方面からも「愛する者」はやはり鏡流のことでは? と思わせるものがある。

 

彼女からは剣技を教わっていたが、最後まで親しいとは言えない間柄だった…

はあ、しかし、果てしない夜の中で、空に浮かぶ月ほど身近な存在もないだろう?
(景元のボイス 鏡流について)

 

景元は鏡流のことを月に例えている。

 

腕甲の持ち主はかつて自分と無言で酒を飲み交わし、月を眺めた。
(過客の游龍腕甲の由来より)

 

丹楓と刃はふたりで無言で月を眺め、酒を飲み交わしていたようである。

本当の月かもしれないし、鏡流のことかもしれない。

日本語にも「月がきれいですね」という、男性から女性に使う古い口説き文句があるが、月は女性の比喩になることも多い。

ムービーでは鏡流が月を背景に佇んでいたリ、満月を背景に美しく舞う姿が見られる。

どうも師匠は月と縁が深そうに思えてならない。そうでなければ、わざわざこんなに分りやすく匂わせるのだからミスリードを誘っているのだろう。

 

そういえば、龍尊の尊号が「飲月」なんだよな……。

意味深である。

月を飲みこんでしまったのか……?

鏡流が丹楓に強い特別な感情があったのだとすれば、筋書き2に類するストーリーも有り得なくないかもしれない。

 

 

 

そこに愛はあるんかい?

 

前段最終部に少し関連するが、一部の界隈ではこれが大変な問題になっているようである。

当然である。

推しが別キャラと恋仲であるなど受け入れがたい。公式と解釈違いである。

 

余談であるが……

「符玄様がもし景元のことを好きならば、景元と並べてパーティーを組んでやるのが本当の愛だ!」というような主旨のことを符玄推しの方がおしゃっているのをネットで見て、いたく感銘を受けた。同時に腹を抱えて笑った。

それこそまさに愛である。

自分はとてもじゃないが、そのような崇高な感情にまで昇華できそうにないが……。

 

話しを戻そう。

今の不確かで匂わせすぎの状態では、鏡流推しも刃押しも丹楓推しも皆一様に苦しい。

推しを手中に収めるには大枚はたいてガチャを引く必要があるというのに、とても心穏やかでいられるわけがない。安心して凸を進めていいか確信を得たいのは当然である。

 

人の言動から心理洞察を趣味とする自分は、「刃から鏡流に向けて」と「鏡流から刃に向けて」は恋愛感情はないように見える。今のところは。

丹楓-鏡流間については全く情報がないので考えようがない。

同様に、丹楓-狐族の女性間、刃-狐族の女性間も考えようがない。

……考えようはないのだが、狐族の女性が刃に特別な感情があった可能性は、あるような気がしている。

いろんなところで割りと狐族と短命種の友情や恋愛問題がクローズアップされている。

もしかすると、刃-狐族の女性間の伏線なのかも、と思わせる節はある。

 

話しを戻す。

「過客の游龍腕甲」の由来について、英語か中国語の文を見てみたいところであるが、「愛する者」のニュアンスは恋慕の情というより、友愛や敬愛の方が近いのではないだろうか。

もし恋愛感情に類するものがあったとしても、憧れに毛が生えた程度の淡いものだと思う。

ただ、その種のものがあった場合は交錯していた可能性が高いとも思う。

刃は鏡流は丹楓の方を向いていたと思っていそうだし、丹楓は丹楓で鏡流は刃を見ていると思っていたような気がする。

そうであれば、それが決定打でなかったとは思うが、少なくとも丹楓が刃を不死にしてしまう動機が強化されるし、その結果丹楓が失われ、鏡流の魔陰落ちの大きな原因になったと刃が思ってもおかしくないように思う。

あくまでも「一意孤行の末、彼とともに愛する者を化け物にした」が「鏡流の魔陰落ちを早めてしまった」という意味ならば、であるが。

 

 

飲月よ…俺たちの業報はいつ訪れる?俺たちが作った借りは、どう返せばいい!

これは本当に分からん。

情報が少なすぎて解釈に困る。

借り……? 誰に対する借りだ。

 

今見えている事実だけ見れば、彼ら2人に一番貸しを作っているのは景元のように見えるが。

鏡流が魔陰落ちしたことだろうか。だとすれば、「借り」という表現は相応しくないように思う。

これまでの脈絡を無視したぶっとび想像なら、故人と思われる狐族の女性は2人を庇って死んだ可能性があるかもしれない。

 

御空のストーリーが婉曲的に示唆している可能性がないわけではないと思う。

 

毎回出征する前、私は戦友に約束していたわ。
「あなたはしっかり武器を握りしめて、私があなたを仙舟に連れ帰る」
でも、私は約束を破ってしまった。
あの戦いの後、私だけが傷ついた身体を引きずって天舶司に戻ってきた。

 

御空は景元がかつて雲上の五騎士であった狐族の女性の面影を見て、見出した人材かと思われる。

戦友を死なせ、飛行士であった御空だけが戻ってきたのなら、かつては戦友を生かすために死んだ飛行士もいたかもしれない。

 

もしくは、生きてはいるけれどもすでに過去の存在とは異なるものになっているとかも有り得るかと。

景元以外の3人、鏡流、刃、丹恒(楓)がそうであるように。

この種の逸話が飲月の乱の前段階にあれば、これ以上仲間を失いたくない丹楓が刃不死化への動機が強まるだろうし、もしそれが刃のせいだったりしたら、鏡流が刃に凄惨な稽古をつけた動機の説明にもなる。

 

 

景元は蚊帳の外だったのか?

 

景元以外の関係者が意図的に関与させなかった可能性はあると思われる。

 

そもそも景元は雲上の五騎士のなかでは年少者である可能性が高い。

ムービーでも鏡流が成人の姿であるのに、景元は少年だ。

刃のキャラストでも丹楓のことは「男子」と形容されているが、景元と思われる人物のことは「少年」表記である。

 

また、景元は「武力で名を馳せたわけではない」と明記されている。

早くから景元は武人でなく政(まつりごと)によって羅浮を守れる次世代の逸材と目され、何なら鏡流や刃、丹楓から様々な形で守られていたのではないだろうか。現在景元が彦卿や符玄にそうしているように。

 

もし飲月の乱の具体的目的が「刃を不死にすること」であったり、それに付随して羅浮内や同盟の目を欺くことだったとすれば、景元ならばもっと穏便に目的を果たす手を考えられそうである。巡狩と蜜月の羅浮の思想からいけばとんでもないことではあるが、景元は大局を見る人間なので、その辺りもものともしないだろう。

 

実際、現在の景元は符玄にこう言っている。

「危機が迫った時、規則が有用であれば従うが、無用であれば捨てざるを得ない」と。

 

刃は景元が何も言わず、何もしなかったと、恐らく件に関連して言っているが、景元に何もさせなかったのは丹楓なのでは? という疑念を自分は持っている。

未来ある景元に万が一にも類が及ばないようにするために、または、面倒事を片付けてやるために、丹楓はあえて派手な形……飲月の乱というものを演出したのではないだろうかと。

 

そのような事情でもなければ、景元の丹楓に対する感情が濃すぎてちょっと説明がつかない。

散在する情報からいくと刃と丹楓の方が因縁が深そうなのに、温和で冷静で、掴みどころのない景元が、丹楓に対してはあまりにも未練がましくて自分を出しすぎなのである。

 

ついでに言えば、雲上の五騎士に対して景元が感傷的すぎるのもひっかかる。

 

鏡流と刃、そればかりか丹楓と自分の要素すらも合わせ持つ彦卿をわざわざ見つけ、さまざまな異論を排除してまで軍に入れ、あげく、自分の側において育てている。

 

「不良少女」の御空を天船司に入れたのも、その姿に雲上の五騎士であった狐族の少女の面影を見たからでないだろうか。

 

景元は飲月の乱とその周辺で起きた事柄について、無力であった若い自分を悔いており、それを払拭すべくこれまでと今を生きているようにも見える。

 

 

その他の細々とした要素について

腕甲について

刃と丹恒が片方ずつ付けていると思われる、龍脈一族の巨匠が作り出したとかいう逸品。

違いに感応するらしく、もう一方の位置が分かるらしい。

なぜ刃と丹恒が分けて持つに至ったのか。

より現実的な理由であれば、中途半端な脱鱗によって化龍の力が完全に失われなかった丹恒の位置を見失わないようにするためかもしれない。建木になにかあったときのために。刃はずっと丹恒の監視役兼保護役を担っていた可能性があるのでは?

ひとり何も覚えていない丹恒は命を狙われていると思っていたかもしれないが。

 

丹恒の覚醒を経て、3人が再会した際に刃が景元に「俺のやるべきことは、もう終わった」と言っている。それに対して景元は「ああ、そうだろうとも」と応えている。

このやりとりだと、景元はカフカと取引をして、刃を利用して丹恒の覚醒を促したという風には読めない。

「そうだろうとも」は、言わずとも分かっている、という意味を含んでいるのだから。

 

また、より感傷的な理由なら、丹楓自身が転生前に刃に渡したかもしれない。

恨むならいつでも殺しにこい、生まれ変わっても待っている的な捨て台詞とともに──などと思ったが、丹楓は腕甲なんて付けていないのである。

誰がいつ用意したのか不明である。

島流しに合う元龍尊が不憫で、舟を出る際に龍師の誰かが用意したのだろうか。それとも武具に精通していそうな刃がその存在を知っていたのだろうか。

 

 

狐族の女性について

先に触れたが、仲間を庇って戦死したか、凄惨な戦場が耐え難くなり正気を失った可能性があると思う。続く戦乱のときを景元が「果てしない夜」と例えているので、よほどのものだろう。

特に狐族は享楽的な人生観らしいので、堪えそうである。

狐族の寿命は300年ほどであるが、魔陰にならないわけではなく、なりにくいだけらしい。

「愛する者を化け物にした」の件が、狐族の女性である可能性もワンチャンありえると思う。しかし、そうだとすれば現時点で露出している情報が少なすぎて、飲月の乱の全てが突飛なものにしかならない。

 

 

 

あの娘が今…どう過ごしているか見たいだけ…ただ、あの娘に会いたいだけだッ!!

 

分からん。

魔陰後の鏡流っぽい、としか。

これは飲月の乱には直接関係なく、ミスリードを誘うもののように見える。

 

「あの娘」とは、普通に考えれば白露なのだろうか。

つながりを示唆するものを確認できていない。

もしかして、鏡流も持明族なのだろうか? そして白露は血縁者か何かか?

彦卿と同じで髪型のせいで確かに耳の先端が見えないが……

と一瞬考えたが、ショートアニメ「飛光」で「魔陰は長命種の宿命、いずれこの身が魔陰に落ちたとき…」と言っているのでやはり長命種だろう。

 

白露は背景が不明だが、もしかすると鏡流と縁の深い存在が前世なのかもしれない。

 

……もしかして、不朽の龍の末裔ならば古海の水を使って他の種族さえも転生させたりとかできるのだろうか。特別な自分の力を分けてしまう、のような形とかで。

 

白露の前世が狐族の女性などという、全く伏線のないぶっとんだ設定があれば、この話はもっと壮大なものになりそうだ。

しかし、こう考えるとやはり狐族の女性は飲月の乱が起こる前段階で、重要な要素かもしれない。

 

 

楽しかった。

今ある材料で考えられるだけ考えた。

関連しそうな情報を拾えるだけ拾い、整合性を検証しながら慎重に繋いだが、それをやって気づいたのは恐らくミスリードさせるものが混ざっていそうである、ということである。

時系列や案件の異なる情報がひとつのフィールドにごちゃ混ぜに放り込まれていそうな印象を受けた。あと、翻訳が正しいのか疑いたくなるところもある。

そんなこんなで、冒頭でも書いたが、現時点では真理に近づくことは不可能である。余白が多い分、妄想や想像ははかどるが。楽しむのなら今のうちだ。

 

それにしても、言葉の端々からはもちろん、些細な仕草や行動等からも彼らは互いをよく知り、深く信頼している様子が垣間見えて清々しいばかりである。

鏡流と刃は鏡流景元の本物の師弟コンビよりもよほど師弟していて面白い。

彦卿に対して刃は憎まれ口叩き、鏡流は苦言をていし、間接的に景元を気にかけている。

戦闘前に全く同じ構えで入るのもいいし、舞うような回避の仕方もよく似ている。

 

丹楓は出てきたばかりで情報が少ないが、刃の言葉や景元の態度、それに「こだま」の言うことをまとめると、物静かだが熱く、義に厚い人のようだ。

大人ふたりで子どもを痛ぶるという目を覆うような戦闘が繰り広げられた際、刃は覚醒した丹恒に対して次のように言っている。

 

「まさか、ガキが相手だから、手を下せないのか?」

 

これは、突拍子もない煽りというわけではなく、丹楓ならばそれがあり得る、ということだろう。

それにしても、不完全でも丹楓が戻ってきたのを見た刃はずいぶんテンションが上がって嬉しそうであった。

刃の丹楓に対する恨みについては今の時点でもいろいろ考えられるが、その本質は「ひとりだけすべてをきれいに忘れてしまったこと」ではないかと思う。

刃が殺そうとしていたのはあくまで「丹恒」であり、「丹楓」ではない。丹恒が一度死んでくれないと丹楓が戻ってこられない。

実際、丹恒覚醒時のストーリー中で「丹恒」と「飲月」をきちんと呼び分けている様子が見られる。

つまり……たぶん、刃と景元は同じ思いだったのではないかと思われる。表現方法は真逆であったが。

 

刃、丹楓(丹恒)、景元の3人は今後も掘り下げがあるのなら、間接的な形でも共闘が見られそうな気がする。どうも、仙舟同盟は一枚岩でないふしがある。景元は明確に同盟より羅浮を重視しているのでその件で難しい舵取りが迫られそうな感じがある。神君のことがあるので、将軍から降りたり巡狩と袂を分かつことはできないだろうが。丹恒と刃が力になってくれるかもしれない。

 

個人的に気がかりなのは鏡流だ。

鏡流は彼らのつながりの証のようにも見える、刃の打った武器を手放してしまっているし、今の段階では目的が全く分からない。

彦卿に対する態度を見るかぎり大丈夫そうな気がするが……。

敵対しないことを願うばかりである。

 

 

 

 

 

 

【崩壊スターレイル考察】飲月の乱の真相とは?(Ver.1.2を受けて)

 今も昔もゲームが好きだ。

 最近は原神をかじるくらいだったが、ごく最近若い知人の勧めもあって崩壊スターレイルを始めた。

 ストーリーが重厚でおもしろい!……などと思っていたら、とんでもない考察材料に出会ってしまった。

 

 ──飲月の乱の真相とは?

 

 

目次

 

公に確認できる「飲月の乱」

罪人丹楓、賊を擁し禁を犯す、
不死を求め、兵禍を招く。
人神同じく嫉む、天地容さず、
理として大辟を当て、これを以って欃槍を定める。

今、
其の旧功を念じ、大辟を免じ、
脱鱗輪廻をもって、旧罪を咎めん。
化外に流徙し、万世還らず、
凡そ治む処、履踏し得ず。

 

 

『飲月大逆判牘』によれば、飲月の乱の概要と顛末がこのように書かれている。

不死を求めた丹楓(=飲月)が賊を率いて、災いを起こした。

巡守の加護を受けている仙舟同盟の一員である羅浮としては、不死を求めるというのは羅浮──ひいては仙舟に対する挑戦のような大変な反意であり、決して許されるものでないが、過去の功績に免じて脱鱗と追放で許す、ということである。

 

ここで疑問が生じる。

 

雲上の五騎士であった丹楓が、そのような大事を引き起こした真の目的はなんだったのか。

 

 

刃を不死にしたかったから?

Ver.1.2では刃が応星という名で、短命種であったことが示唆された。

しかし、現在の刃は不死で自己治癒力を持つ。

だとすれば、飲月の乱で不死となったのは刃であり、飲月は刃のためにそのような大ごとを起こしたのだろうか。

 

飲月の今世である丹恒は脱鱗によって飲月であった頃の記憶を失っているため、情報源としてあてにならない。

しかし、刃のことを表していると推測されていた遺物「流雲無痕」の来歴や公式ムービー、また、刃の実装に伴いストーリーやボイスが解放されたことなどから下記のような筋書きが上がってくる。

 

短命種である刃が病気か怪我か、老化か定かでないが、命の危機に瀕する

丹楓(尊号:飲月)が独断で豊穣関連を何やらして、刃を不死身にする

自らの意思に反して不死の存在となった刃が、丹楓を恨む

 

彼ら2人だけに着目すると、それでも大きな違和感はないが、ここに2人と縁の濃い景元のボイスやストーリー、ストーリー中での言動や態度を加味すると少々違和感が生じる。

 

羅浮将軍となった景元は、そのような大罪を犯した旧友……特に、この流れだとすれば首謀者とも加害者とも言える丹楓に対し、なぜ今もあのような深い信頼を抱いているのか?

 

また、ちらりとご登場の鏡流の存在と、刃主観の彼女の情報の解釈が難しい。

鏡流が不死身となった刃に、残虐とも言えるほどの苛烈な稽古を繰り返した理由は?

そして彼女はなぜ「魔陰の身」となったのか?

 

さらにもっと、この筋書きでは整合性が取れない決定打がある。

 

 

人は5人、代価は3つ。景元……

刃の迷言である。

「人は5人代価は3つ…」という言葉は刃の傷口ひとつひとつに刻み込まれているそうであるが、匂わせすぎである。

前半部分に着目されていたようだが、むしろ、後半部の方が意味深だ。

 

 人は5人、代価は3つ。 景元、貴様はその中の1つじゃない。

その中の1つが貴様だ。

 

人は5人は、今となっては当然、雲上の五騎士のことだろう。

刃が明言しているので、代価は景元以外の4人のうちの3人。

 

「そのうちの1つが貴様だ」はどう解釈できるだろうか。

 

これはそもそも丹恒に向けられた言葉だろうか。

それとも、続けて景元に向けられた言葉だろうか。

 

本編でも丹恒に場面が切り替わってしまっているので、判断が難しいが、どちらに向いているのかによって日本語的にはずいぶん意味が変わってくる。

 

前者であれば、そのまま素直に「景元は代価のうちのひとつでなく、丹楓が代価のうちのひとつである」ということだろうし、その言葉を丹恒も実際に耳にしたことがある、ということだろう。

 

後者──「その中のひとつが貴様だ」が引き続き、景元に向けられた言葉なのだとしたら、これは重要な意味を含んでしまう。

 

翻訳がすみずみまで正しいことを信じて、シンプルに文節を日本語的に解釈するとこのように考えられる。

 

人は5人(雲上の五騎士のこと)、払わねばならない代価は3つ(3人)。

景元は払わねばならぬ代価の1つではなく、払うことで得られるものの1つ。

 

後半部の「その」が指すのは、「代価」のことだろう。

日本語の「代価」には前後の文脈によって、支払わなければいけないもの、という意味と同時に支払うことで得られるものという意味を持たせることができる。

つまり、景元は支払う方の代価……「犠牲」でなく、犠牲を払うことで得られる「価値」の方だ、という風にも受け取れるわけだ。

 

少々考えが行き過ぎているようにも思われるが、そうさせてしまう要素が他にもあるのである。

 

景元は羅浮将軍として職務には忠実──というより、BOSS戦の特殊ボイス「この身こそ巡狩の鏃(やじり)!」に集約されているとおり、まさに滅私奉公という体であるが、望んでその座にあるわけではないことは彼のボイス等から明らかなのだ。

 

また、景元は刃について以下のように語っている。

 

「彼がすべてを忘れてくれたら、私も楽になれたのに…」

 

景元はもともと発言の大半が、多面的で意味深のかたまりであるが、それにしてもずいぶんだ。

刃がすべてを忘れてくれたら、彼は何から楽になれるのだろうか。

景元は何らかの約束か契約のために、将軍の座にあり続けているのでは? と思わせる発言である。相手が刃だけかどうかは別として。

 

 

一方、刃は景元について以下のように言っている。

 

奴はずっと…俺たちの中で一番「代価」を弁えていた。

だが奴は何も言わず、何もしなかった!

 

魔陰発症済の刃ちゃんは、景元と違い正気であるとは言い難い。

記憶は持っているとはいえ、ネガティブなものがフォーカスされやすい状態であるようなので、景元とは論点が異なった発言のように見える。

 

刃のいう、景元が最も弁えている「代価」とは何のことだろうか?

恐らく、不老不死であることの代価……長命種の宿命のことでないだろうか。

 

雲上の五騎士は種族別には以下のような構成だったと思われる。

持明族(丹楓)

短命種(刃)

長命種(鏡流、景元)

狐族(女性、名前不明)

 

この中で「無事」なのは景元だけである。

自身のことを老人と評し、友も敵もいなくなった世界でも粛々と勤めを果たし、後進の育成にも余念がない。そのうえ、白露曰く魔陰の兆候もないらしい。

一方、同じ長命種で景元の剣の師である鏡流は飲月の乱の後、魔陰を発症していることが分かっている。

これこそが、「弁えている」ということでないだろうか。

 

ちなみに、狐族の女性は直接言及されているものを確認できていないが、故人であることは間違いないだろう。そもそも狐族の寿命では現在までもたないし、彼女が自我を保ったまま存命だとすれば、わざわざ景元が御空を見出す必要がなかったはずである。

 

いずれにせよ、この刃の発言とその周辺からは丹楓が個人的感情で暴走して勝手な振る舞いをし、刃は被害者で鏡流は無関係、景元は蚊帳の外だったとは思い難い。

 

むしろ、刃のキャラスト4によると、景元は刃とよく口喧嘩をしていたようなのにそのような間柄にあって「何も言わなかった」ことが事の深刻さをうかがわせる。

 

 

 

飲月の乱は羅浮を守るために起こしたか、副次的に起きたものでは?

飲月の乱は羅浮を守るために起こしたか、それに付随して副次的に起きたものであると自分は考えている。

 

仙舟同盟ではなく、あくまでも羅浮。

仙舟同盟は豊穣対巡狩の枠組みだが、恐らく彼ら雲上の五騎士はそれ以外の枠組みで羅浮を脅かすものの存在を知ったか、対峙したのではないだろうか。

 

内乱的要素としては、持明族はかなり怪しい。

不老不死の話題を街中で口に出すことも憚られる羅浮にあって、持明族は不老不死を願っているし、長老(たち?)は龍尊を傀儡にしたがり、他の仙舟ともつながりがありそうな気配である。

 

外敵要素としては、星核に関わることだろうか。

代価はカフカもよく使う言葉だ。

また、カカリアも星核の代価について語っていた。

 

いずれにせよ、景元が覚醒後の丹恒に対して、飲月の乱のことを「あんなバカげたこと」と苦々しく表現していることから、恐らく、「飲月の乱」そのものは丹楓の独断で起きたものなのだろうと思う。

 

鱗淵境のこだまによれば、龍尊は代々独断専行のひとであったらしいし、ストーリー中で景元もその特質らしきものを取り上げて「龍尊の気質」と表現していた。きっと気高い存在なのだろう。

 

龍尊である「飲月君」が衆目を集め、一身に責任を負うことで守れるものがあったのかもしれないし、持明族の事情が一因であるなら、己ごと一族の癌を滅ぼそうとしたのかもしれない。何にせよ、飲月の乱における丹楓の目的は羅浮を守ること……ひいては、仲間たち側に付くことだったのではないだろうか。

 

この結論に至るまでに、持明族の背景等の各種設定、各関係者のストーリーやボイスの内容などさまざまな情報を集めたが、それらを提示しながら順に考察を展開すると、とんでもない文量になりそうで臆している。そのため、端折りながら結論だけを書いた。

 

(ついでに、仕事も家族もある中年がそのようなことに多大な時間を割いて良いものかどうか、不安にも思っている)

 

 

彼らは立場や役割が変わってしまっても、自分がおぼろげになってしまっても羅浮を守り続けているのではないだろうか。

 

だとすれば、

景元の「羅浮は仙舟ではない、羅浮は羅浮だ」の言葉も、やりたくもない将軍を続けているのも、彦卿や御空の存在が象徴するような、旧友たちの面影を追うようなそぶりが見られるのもつじつまが合う。

 

また、同時に、刃が景元の育てている次世代を担う若者に対して憎まれ口を叩いたのも、鏡流が孫弟子に剣術を間接的に教えたのも……

ひとりだけきれいさっぱりすべてを忘れてしまい、新しい友人とともに新しい生を生きようとしていた丹恒に刃が憎しみを抱くのも、景元が未練がましいのも納得である。

 

古いものを大事にする価値観のない仙舟人であるのに、彼らが未だに刃が鍛刀したと思しき武器を使っているのも、刃と鏡流が同じ構えで剣を構えるのも、刃が転生後の丹恒に戦い方を教えたっぽいのも、エモくていい。

 

ちなみに、鏡流は少し目的が違うかもしれない。実装前で情報が少なく、確たるものはないが……。

 

真相は次バージョンで明らかになりそうだが、愛憎や私利私欲にまみれた愚かなものではないことを願うばかりである。

 

追記:

やはりもう少し時間を投入して詳細をまとめ直した
興味があればこちらへどうぞ↓

 

h-ichii.hatenablog.com

 

 

さらに追記:

カフカ同行クエで新たに分かったことがあるので、それを加味してブラッシュアップした。
最新の考察はこちら↓

 

h-ichii.hatenablog.com

 

さらにブラッシュアップしたVer.1.2時最終版はこちら↓

 

h-ichii.hatenablog.com

丹恒・飲月の実装後(Ver.1.3)に書いたのはこちら

 

h-ichii.hatenablog.com

 

h-ichii.hatenablog.com

 

 

 

 

中年INTPが INTPに提案したい実践処世術

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intpの処世術

 



もっともニートになりやすい、性格が悪いタイプなどとも言われ、不名誉な称号を与えられているINTP。

INFPほどではないにせよ、確かに社会適応が難しいタイプのひとつであるのは間違いないだろう。

資本主義社会における社会適応のひとつの指標として、稼ぐ能力=年収に着目すると種々のデータがあるが、たいていINTPは下から3~4番目に沈んでいる。

この不条理な世界でほんとうに生きていけるのだろうか、という根源的な不安に苛まれながら生きているINTP。

まだ社会に出る前のINTPならばその不安はいっそう大きいだろうし、いったんは社会に出たもののドロップしてしまったINTPならばその挫折感は相当のものだろう。

INTPにとって今日の世界や社会は生きにくい場所が多いことは間違いない。

 

しかし、大丈夫だ。

皆と同じようにできなくても、皆がなんとも思わないところでひっかかってしまっても、生きていける。

それなりにやっていける。

 

今日は中年INTPがこの20年近くの社会生活で得た知見を、同士の諸兄にお送りしたい。

社会的に成功しているわけでは決してないが、一応ずっと飯は食えている。

ちなみに書いている人はアカデミックな心理学はちょっとかじったが、MBTIやエニアグラムの専門ではない。
(以前はアカデミックな心理学の世界では、そのあたりは歯牙にもかけられていない……というか、スルーであった。今はどうなんだろう?)

 

タイプの特性や診断、認知機能やその詳細については専門のサイトを参照されたし。

 

まあ……もともと権威に懐疑的なINTPにはそのあたりの前提は不要のこととは思うが。

 

 

 

INTPはとにかく行動せよ

結論からいうと、INTPは行動しなければたぶん詰む。本当に詰む。

逆に言うと、行動さえしていれば活路が必ず開ける。

何せ、賢くて応用力が利くのでたいていのことはできる。苦手なことも、経験のないことも持ち前の緻密な論理力でクリアできる。

できないのは、高い外向感覚(Se)を要求されるようなことだけではないだろうか。

INTPが無理なく社会に適応し、生きていくためにどのような行動を心がけて実践するべきか以下に挙げたい。

 

 

”とりあいず”の暫定的な決断でいいから踏み出す

好奇心が無尽蔵で、さまざまなことをつないで考えられるため、興味が取っ散らかりがちなINTP。そのうえ、ただひとつの真実を探し続けているため、進路や職業選択の決め手に欠けることが多いのではないだろうか。

そんなときは、とりあいず今の時点で最もホットな領域で行動を開始することを勧めたい。

好奇心が旺盛なので大抵のことは楽しめるし、応用力があるので途中で道を変えることも器用にできるはずだ。

 

 

ロジックの形成と情報収集はほどほどに

真理に到達したいという思いから、いつまでもひとつのことを考えてしまいがちで、いつも期限ぎりぎりまで考えてしまう。

下手をすれば、出したあとでさえ「こうだったのではないか」「ああかもしれない」などと際限なく考えてしまいがちだが、そのときのINTPはすでに他からすると、異次元に到達している。

自分では6割くらいの完成度で、もやっとしているくらいで世の中に出すのがちょうどいい。

恐らく、6割の完成度でも端から見ると「考えすぎ」「そこまで考える必要ある……?」という域にある。

 

 

ネットでの行動より、リアルの行動の方が反応や評価を得られやすい

これを書いている人は中年なので、2000年頃──まだPCのメモリが5MBくらいで電話回線のダイヤルプッシュで接続していたときくらいからネットに出入りしている。

ネット黎明期はまだ情報量が少なかったのでブログを書いてもサイトを作っても、すぐに誰かの目に留まってレスポンスがあった。

しかし、それから二十年が経って、今は完全な飽和状態、弱肉強食の搾取社会である。

INTPは一見傍若無人で時に悪意なく人の感情を踏みにじるが、それでも本質的には調和を愛している。だから、競争には向かない(劣等機能がFe)


INTPはネット大好きだが、あえてリアルでの行動を重視することを推奨したい。

 

 

人間関係をおろそかにしない

ひとりの時間が何よりも幸せで、誰にも関わらず生きていけるのなら最高と思っているかもしれない。

しかし、それでは劣等機能のFeが発達しない。INTPは他者と関わることで、発展的になれる。リアルでの行動のひとつとして、たくさんでなくていいから、知人や友人、パートナーを持って関わろう。

 

 

友人や知人に、ENT-を持とう

INTPは世俗的なことにあまり興味がないし、心躍らされない。S(感覚)優勢とは根本的に話が合わないことが多い。

F(感情)優勢タイプは自分も振り回されるし相手にもよく思われないことが多いかと思う。

無理なく付き合え、得るものが多いのはENT-だと思う。本質的には理解し合える部分が大きく、彼らのエネルギッシュな行動や考え方には感銘や刺激を受けることが多い。ENT-も希少なのでなかなか出会えないが、知人にひとりでもいると大分心が救われる。

INTP同士は同族嫌悪があるし、INTJは似ているようで根本がけっこう違う。そもそも数が少なすぎてそうそう出会えない。

相手がSかN、FかTか分からないときは身近な時事問題を提示して話し合ってみるといい。PかJはさほど重要でないはずだ。

INTPならば相手がどうか、ちょっと話しただけでなんとなくは分かると思う。

 

 

持前の論理力と頭の回転の速さを駆使して良好な人間関係を築こう

INTPには種に関わらず人間関係を築くことが難しい、と感じている人もいるかもしれない。

私たちは自分の感情を認識することも得意でないし、相手の感情を感覚的に察することも難しいからそれは当然だ。

しかし、それすらもTiを駆使すればカバーできる。

相手の表情や声音、ケーススタディを頭のなかに蓄積してデータベース化しよう。

データが蓄積されて最適化されれば、感覚的に分からなくてもその時、そのシチュエーションに適切な言動を引き出せるようになる。

 

 

膨大な知識と底抜けの好奇心は、人や社会のために活かしてはじめて意味がある

マジョリティを形成するSFグループは、私たちからすると些末なことに真剣に悩み、苦しんでいることが多い。

それを冷笑するのでなく、寄り添って話を聞こう。私たちの感覚や視点は特異なもので浮世離れしていることが多い。

だからこそ彼らに新たな可能性や知見を提案することができる。信頼関係ができたら、自分のその特異な視点を押し付けることなく紹介してみよう。きっと彼らの助けになれることがある。

 

 

外見に注意を払おう

自身の容貌になど興味も関心もないINTPは多いと思う。しかし社会は、私たちが思っている以上にずっと外見を重視している。

むしろ外見がそれなりなら、ある程度の失礼も笑って許してもらえる。奇人っぷりも愛すべき個性にしてもらえる。

これを書いている人は、知人(恐らくISFJ)にはっきり言われたことがある。

「それ(パーソナリティ)で見た目もアレだったら完全にヤバイ人だもんね」──と。

生得的な容貌もそうだが、服とヘアスタイルをそれっぽくするだけで十分だ。どうしたらいいか分からなかったら、ホットペッ〇ーを開いて、よさげな美容室に飛び込み、お任せでカットしてもらおう。服はファッションビルや百貨店に入り、なんとなく自分好みな気がする店に入ってお任せで一式選んでもらえばいい。

私たちは各領域の専門家にごく自然に敬意を持てるから、難しいことではないはずだ。

 

自分の奇人っぷりに酔わない

これは特に若年のINTPに老婆心からお伝えしたい。

アイデンティティの確立が発達課題となる青年期には、自分が人と違うこと、自分が希少種であることが気持ちよく思えたり、自尊心を支える要素になるかもしれない。時には没個性の世俗的な人を見下すようなこともあるかもしれない。


しかし忘れないで欲しい。社会はそのような人たちに支えられ、動いている。


そして奇人は社会的ニーズが少ない。大人の世界に個性は必要ない。労働者に求められるのは、資本主義に都合のよい歯車だ。尖った個性だけをよすがにして生きられるのは、ごく一握りなのだ。

変わり者であることは仕方なく、マジョリティに迎合することも難しいが、どうか社会や人の役に立てる温和で有用な奇人を目指して欲しい。

 

 

疲れたときはとにかく寝よう。あと、ちゃんと食べること

何かに夢中になっているときも寝食を忘れることと思うが、厄介なのは強いストレス状態に陥っているときである。

TiとNeの無限ループに陥っているときがそれだ。

社会活動や寝る・風呂に入る・食べるなどの生活の基本的なこともせずに、延々とネットサーフィンしたり読書に明け暮れたり、脈絡なく考え事をしているときはとにかく休もう。

気が済むまで寝るのがいい。

問題が根本的に解決しなくても、寝れば頭がすっきりして我々の最大の武器であるTiが建設的な方向に動きはじめる。

 

 

まとめ

以上、中年INTPが自身の社会経験をもとに、INTPが世をそれなりに渡るためのポイントをまとめた。

中年INTPは現在中年クライシスの真っただ中にあり、アイデンティティの再構築を迫られている。その作業の最中、自身の青年期の振り返りをしたのでMBTI視点からこの機にまとめてみた。

INTPお得意の自己満足である。

 

しかし、ネットを見ているとINTPの生きづらさがひしひしと伝わってくる。

いち個人の知見と持論だが、社会適応に苦しむ同士諸兄の少しでも役に立てれば嬉しい。

 

INTPの代表格としてアインシュタインみたいな、とんでもない人が挙げられている。

みんながみんなアインシュタインになどなれるわけがなく、もっと手が届く範囲の小市民的なモデルケースが必要だと思った。

社会的に大成功しているINTPは率直にいって羨ましい。その極意をぜひご教授願いたい。

 

我々は感情表現が得意でないし、ごく親しい人にしか自分のTiを可視化しない。

だから他者からは誤解や批判を受けることも多いが、本質的には平和と調和、公正を愛する善良な市民だ。

殺伐とした世の中になりつつある今だからこそ、世捨て人になることなく、どうか社会で活躍してほしい。自戒を込めてそう思う。

 

 

 

これを書いた人のこと


MBTIはINTP
エニアグラムは5w4 トライタイプはたぶん258(582)

タイプ5のなかではもっとも人懐こく、258が多い型はENTP、次いでENFJということなので、後天的に外向性をかなり発達させたものと思われる。

仕事は人と関わる仕事でフリーランス

友達はいないが知人は多い。
友達は必要性を感じない。なぜならINTPだから。

 

配偶者はISFP エニアグラムは1w2。

根本的には分かり合えないが、人として善良なところが良い。

配偶者にES-Jはベクトルが違いすぎてお互いしんどそうな気がする……(個人の見解です)

 

 

 

 

 

【ベルセルク考察】キャスカ退行の原因は、自分で自分を受け入れられなかったからでは?(7400字=読むのに約10分かかる)

 以前、「一見完璧人間のグリフィスはガッツに対し、憧れや恐れがあるのでは?」でキャスカがキーポイントになるのではというような趣旨のことを書いた。その際は、2017年6月23日発売のヤングアニマル第29巻第13号でキャスカの心の有りようが明かされそうなので、それを待ってまた考察してみたいと考えていた。

 しかし、明かされなかった……。

 そして休載――

 無念である。


 三浦先生のご健康と連載再開を祈りつつ、あんまり悔しいのでキャスカの心の有りようと、退行から回復したら彼女がどうするのか考察してみたい。

 

 今回は、劇中の彼女の言動をもとに心理学的見地からの考察を試みたいと思う。しかし、書いている人は若干心理学をかじった程度(大学がそっち系)であり、しかも、残念ながら、おおいに関係がありそうなユングに全く詳しくない。教科書や参考書籍をひっくり返しながら、あまり素っ頓狂なことにならないように進めていきたいが、あくまでもお遊びの範囲として読んでいただけると嬉しい。

 

 毎度ながら、多数の台詞を引用しているので、断片的ながら濃くネタバレしている。未読の方は控えた方が良いし、気になった方はぜひコミックスを購入して確認してみていただきたい。

 

目次

 

キャスカが退行した原因

 キャスカはジュドーピピン、コルカスらと多くのモブとともにグリフィスの起こした「蝕」に巻き込まれた。その際に眼前で仲間達がむごたらしく殺され、ピピンジュドーに守られつつも彼らも命を落とす。


 そして、その後フェムトへと転生したグリフィスにガッツの目の前で陵辱され、骸骨の騎士に助け出された後、蝕を免れたリッケルトに手当てされるも、ガッツが目覚めたときにはキャスカはすでに以前の姿ではなかった。

 

 流れは上記のとおりであるが、直接的な原因が何であるかを考えると案外難しい。
ざっと書き出すだけでも、幾通りか考えられる。

 

①仲間達がむごたらしく殺されたことによる悲しみ
②フェムトに陵辱されたこと自体の悲しみや怒り、落胆など
③ガッツの目の前でフェムトに陵辱されたことによる、悲しみ、恥ずかしさなど
④グリフィスが仲間を売ったことによるショック
⑤①~④が混ざり合って

 

 自分は①から⑤のいずれでもなく、「フェムトの行為に喜び(もしくはそれに類する感情)を持った自分を自分で受け容れられなかったから」ではないかと考えている。その理由を順を追って書いていきたい。

 

 

幼児退行という現象を、うすっぺらい心理学の知識で一生懸命考えてみる

 真っ先に思い浮かんだのは、フロイト精神分析理論の「防衛機制」である。
 フロイトは人の心的装置をイド(エス)、超自我、自我の三層に分けて考えている。

 

乱暴に言うなら、下記のような感じ。

イド(エス)→自分のなかの悪魔
自我→意識できている自分
超自我→自分のなかの天使

 

 たとえば、100万円を拾ったとする。悪魔は「自分のものにしちゃおう!」という言うわけである。そして、天使は「失くした人が困っているから、交番に届けよう」などとささやく。そこで自分は悪魔と天使両方の言い分を聞きながら、最終的にどうするか決断を下す。この決断は自分の意向だけでなく、社会的制約(ネコババが許されるような風潮か、現実的に罪になるのか)や条件(誰かに見られたか)なども加味される。

 

 このように人は「原始的欲求」と「後天的に身に付けた倫理観」などの狭間で、環境や状況などを加味して日々現実に適応するために選択を行っている、というのが、ものすごいざっくりしているが、フロイト精神分析論というやつではないかと思う。(間違っていたらすいません)

 ちなみに、イド(エス)は無意識的、超自我も大半は無意識的であるとされているようなので、例えにあげた悪魔のささやきや天使の諫言は基本的には無意識的(自動的)に行われており、本人はそのプロセスを認識できない。

 イド(エス)と超自我のはざまで、自我はいつも葛藤して不安にさらされている。その自我を守るためのはたらきが冒頭で述べた「防衛機制」である。

 防衛機制にはさまざまな種類があるが、有名なのは「抑圧」つまり「我慢」である。
先にあげた例ならば、100万円を懐に入れてしまいたいという欲求を抑圧=我慢し、人は交番にそれを届けたりする。

「退行」は防衛機制のひとつで、抑圧を我慢とするなら、幼児退行は「逃避」ということになるだろうか。辛い現実から目を背け、守られるべき存在だった子ども時代に返ることで、自我を守るのである。

 

 

劇中の描写よりガッツとグリフィス、それぞれへのキャスカの感情の推移をまとめてみる

 

キャスカのグリフィスへの感情(グリフィスが再起不能になる前まで)

みじめで無力な一人の娘を哀れんで神様が天使を遣わされた…
12歳の私には一瞬 そんな風に思えた


ベルセルク 6巻』より

 貧しい家庭に育ち、貴族に売られ、乱暴されそうなところをグリフィスに助けられる(正確には、戦うかどうか選ぶチャンスを与えられる)という鮮烈な出会いから、その手腕や美貌もあってかグリフィスに心酔していた様子である。
 ジュドーがその状態を以下のように端的に示している。

 

キャスカにとってグリフィスの言動は預言にも等しかったのだから


ベルセルク 9巻』より

 

  預言とは神の意思や予告である。
 つまり、キャスカにとってグリフィスは神にひとしい存在だったというわけだ。

 

…私はあの人の… 隣りにいたい
あの人が自分の夢にすべてを捧げるなら……
あの人の夢が戦い切り開いて行くものなら
私はあの人の剣になりたい


ベルセルク 7巻』より

 

 

 

前におまえに言ったよな
私はグリフィスの隣にいたい……あの人の剣になりたいって
…あれはほんとじゃない
あれは私がこうありたいと望む私 強がりだ
確かに最初は純粋にそう思っていた…
だけどある日気がついたんだ
グリフィスは神ではなく……そして私は女なんだって……
(中略)
女としてグリフィスに寄り添えなくても 剣としてなら
夢を実現させるために欠かせないものになれるのならば それでもいいと……
思っていたかった


ベルセルク 9巻』より

 

  グリフィスに想いを寄せつつも、彼の夢の実現のためにはシャルロット王女と婚姻を結ぶ必要があるため、無理だと悟っていたキャスカ。
 ならばせめて、夢の実現に欠かせない手段になろうとしていたようである。

 

 

キャスカのガッツへの感情(グリフィスが再起不能になる前まで)

言ったことない………
グリフィスは 誰にも あんなこと……
言ったことない!!

注)あんなこととは、グリフィスがガッツへ言った言葉「おまえが欲しいんだ ガッツ」

ベルセルク 4巻』より

 キャスカのガッツへの感情は、「脅威」として始まっているようだ。入団直後、ガッツに殿(しんがり)を任せたばかりではなく、窮地を助けに行った一連のようすを複雑な思いで眺めている(4巻)キャスカが心酔するグリフィスにとってガッツが「特別」になりそうな予感があり、気が気では無いようだ。

 

 そのような思いがあったためか、ガッツに対しては何かとつっかかることが多く、当のグリフィスにも「お前らほんっとに仲悪いな」と言われている。(5巻)

 

 キャスカのガッツへの感情が変化しはじめるのは、ドルトレイ攻略の前哨戦にて、ガッツとともに崖下に落下した際のことである。ガッツに対し、自身のグリフィスへの想いとガッツへ抱いてきた「嫉妬」のような思いを赤裸々に語っている。その後、キャスカを庇い、百人斬りを成し遂げたガッツもキャスカに対し、胸の内を語ったことでふたりの距離は近づいていく。(7巻)

 

 ただここで注目したいのは、キャスカは「傷心」であったことだ。

 キャスカは出陣の直前にシャルロット王女がグリフィスの身を案じ、グリフィスもそれに応えている場面を見せ付けられ、あげく、彼を守って欲しいなどと言われている。後日の戦勝祝賀会で、髪を結い、ドレスを着た際には自分の格好がおかしくないか、似合っていないのではないかと気にしていることからも(8巻)、同じ女性でありながら、着飾ったシャルロット王女と短い髪に男装の自分を比べ、みじめな気持ちにさえなったかもしれない。

 思いを寄せる男性に守ってもらうどころか、他の女性に彼を守って欲しいとまで言われてしまったキャスカにとって、その身を挺し、命懸けで守ってくれたガッツの行動はさぞ嬉しかったことだろう。(しかも、このときグリフィスは軍議で不在。救援隊にもその姿はなかった)

 

……私は

望んでいる……?

居てほしいと…

あいつに居てほしいと…………

望んでいる?

 

ベルセルク 8巻』より

 

 キャスカがガッツへの思いを自覚するのは、折りしも鷹の団を出て行こうとするガッツとそれを引き止めたいグリフィスの決闘の直前である。その後はご存知のとおりだ。

 

 ここでまた注目したいのは、キャスカとガッツが再会し、結ばれたときのキャスカはグリフィスの生死や状態、事の経緯も分からないまま執拗な追撃を受け続けてきたばかりか、グリフィスの女にも剣にもなれないことも悟り、「傷心」どころか心身とも疲れきって憔悴していたことである。

 

 

キャスカのグリフィスへの感情とガッツへの感情(グリフィスが再起不能になった後)

 ガッツと結ばれたものの、グリフィス救出に向かったキャスカはまだかなり揺らいでいる様子である。


 グリフィスへの恋慕を率直に表すシャルロットに嫉妬し、それをガッツに謝ったりしているくせに、ガッツがシャルロットを背負う際にはまた嫉妬するような表情を見せている。(10巻)一方では、窮地に陥った際はガッツを頼るような素振りを見せたり、ガッツを心配して泣いたりもしている。

 

 いちばん大きく揺らいでいると思しき場面は、馬車のなかでグリフィスに抱きつかれた場面だ。


「やめ…!!」と言いかけて拒絶しようとしたものの、震えているグリフィスに気がつき、なだめるようにその背に手をおいたあと、ひとりで馬車の脇に座り込んでいる。(12巻)このときキャスカはかなり動悸が激しいようだが、その感情は定かではない。


 驚きともとれるし、動揺ともとれるし、胸の高鳴りともとれる。


 ただ、その後ガッツにどうしたのかと問い詰められて「やめて…!! 違うんだ!!」と声を荒げている。
 この様子からは、どこかガッツに対して後ろめたいような感情を覚えたようにも見えなくない。単なる驚きや動揺ならば、今起きたことを話してもおかしくないのだから。

 この後キャスカはガッツに対して、「あんな状態のグリフィスをおいてはいけない」という理由で、鷹の団を後にしてガッツと同行する約束を反故にしている。

 

 

理想の男はグリフィス 現実の男はガッツ?

たとえどんなに尽くしても決して一緒になれない男を思い続けるのが……
女にとって幸せなんてことがあるのかね?

惚れた相手なら 抱かれたいと思うのが普通だろ?

 

ベルセルク 8巻』より

 これは、ジュドーの台詞である。

 ジュドー自身もキャスカに思いを寄せつつ、キャスカがグリフィスに崇拝に近い感情を持っていることも、そのなかでガッツと距離が近づいていったことも知っている。

 

 キャスカのグリフィスとガッツへの思いはまさに、こういうことではないだろうか。再起不能になる前のグリフィスは、キャスカにとってどう足掻いても一緒になれない男だったし、辛いときに現実的に側にいてくれたのはガッツだった。悪い言い方をすれば、ガッツは現実的に考えて(無意識にでも)妥協した相手だったといえなくもない。

 しかし、政略結婚する必要もなくなり、介護すら必要になったグリフィスは、決してどう足掻いても一緒になれない男ではなくなった。それどころか、「フェムト(グリフィス)は「蝕」のとき、なぜキャスカを陵辱したのか?」で書いたとおり、当のグリフィスもそれを一瞬でもイメージした節さえある。グリフィスの心の機微に敏感なキャスカが、果たしてそれに全く気がつかないだろうか。

 

 

やっぱり、嬉しかったのでは?

 大分前置きが長くなっているが、ここで退行の原因に話を戻そう。

 退行が防衛機制の一種として描かれているとすれば、キャスカはイドと超自我のあいだで激しく葛藤し、自我がそれをうまく調整することができず、適応できなかった結果と考えることができる。


 では、このときキャスカは一体なにと何のあいだで葛藤したのだろうか。

 問題の場面のキャスカの様子をあらってみよう。


 当初意識を失っていたか、朦朧としていたキャスカは途中で意識をはっきりと取り戻し、間近に迫ったフェムトの顔を見つめ「グリ…?」と呟いている。これはもちろん、「グリフィス?」と言おうとしたのだろう。キャスカはその相手がグリフィス(フェムト)であるとしっかり認識している。

 抵抗することは物理的に不可能な状態で、彼女はそれをただ受け入れざるを得ないようにも見えるが、ここに至るまでのキャスカがグリフィスとガッツに抱いていた感情をふまえると…

イド・エス→喜び
超自我→ガッツの前で喜ぶことなど許されるわけがない
自我→調整不可能

 となったのではないだろうか。

 なにせ、グリフィスはキャスカが崇拝に近い感情を持っていた、手の届かないはずの男性である。しかも立つこともままならなかったはずなのに、なぜか回復していて、かつての姿なのだ。(外見的な意味でなく)

 

 もしも、グリフィスの許しがたい裏切りによって仲間達が次々と無惨に殺され、自分も尊厳を踏みにじられたことによる深い悲しみや怒り、やるせなさが原因であるのならば、退行でなく別のなのか……知識が乏しいのでアレだが、例えばPTSDなどの症状の方がしっくりくるようにも思う。

 

 ただ、イド(エス)というのは快楽原則に従う原始的な欲求なので、もしくは、

 

イド・エス→実は仲間達が無惨に殺されるのを喜んでいた
超自我→そんなこと喜んでいいわけがないわ!
自我→調整無理

 

 と考えられなくもないが、ガッツに対して「見ないで」と言ったまでは、キャスカの自我は保たれているので、それも違うだろうと思う。仲間達はもっと前の段階でむごたらしく殺されている。

 

 大分推定の部分も多いが、以上のような背景と心理学的視点から、自分はキャスカ退行の原因は「フェムト(グリフィス)の行為に喜び、またはそれに類するものを覚えた自分を、自分で受け入れられなかったから」ではないかと考える。

 

 当然であるが、これはあくまでも劇中の人物間の関係に基づき考察したものであって、女性の尊厳を軽視する意図や、フェムトがキャスカにしたような行いを是認する意図はないことを断っておきたい。

 

 

自我を取り戻したとき、キャスカは?

 コミックス最新刊39巻には、キャスカの夢のなかの様子が描かれている。
 冒頭で述べたように、書いている人は心理学をちょっとかじった程度で、しかもユングに全く詳しくないし、臨床にも関わっていないので夢判断などと大それたことはできない。

 

 無意識と夢の関連から夢の分析を重要視したユング心理学によると、夢というものは、無意識を知るために有効な手がかりになるというが、たいていはあまり脈絡がなかったり、突飛であったり、抽象的であったりするようだ。

 

 キャスカの夢では具体的なものと抽象的なものがある。
 具体的なものは意識に上がっているもので、本人も受け容れているものなのかもしれない。

 

 ばらばらになったキャスカの人形が納められている棺には、旧鷹の団の紋章がある。
このことから人形は、鷹の団の団員であったキャスカ、つまり社会的な彼女の姿を象徴しているように思えるし、小さなキャスカはいち個人、ひとりの女としてのキャスカを象徴しているようにも見える。


 棺を引く犬(ガッツ)は、頼りになる鷹の団の幹部、というキャスカの社会的なパーソナリティに執着している(つまり、キャスカがそう思っている)ことを表しているようにも見える。

 

 コミックス未収録の最新話ではいよいよ中心と思われる「針山」に一同は踏み入れている。そこにはけったいな怪物がうごめいているが、この怪物、よく見るとなにかに形状が似ている。男性器にそっくりなのだ。彼女の夢に出て来る化け物が象徴しているものは、フェムトの行為ではないだろうか。

 

 もしここで書いたようなことが起きているとすれば、キャスカが自我を取り戻すには自分にとって受け容れがたい思いを知り、受け容れなければならない。


 だとすればガッツとの決別は避けられないし、ガッツに好意らしき想いを寄せていると思われるファルネーゼとシールケの感情も損ないそうである。しかも、キャスカの夢の中に入っているのは、そのファルネーゼとシールケだ。

 

 グリフィスの元へ行くには現実的には生贄の印があって難しそうであるし、感情的に揺らぎやすく、倫理観の強いキャスカが心情的にもそこまで吹っ切れるとは思えない。

 

 だとすれば、考えられるのは以下四通りくらいだろうか。

①何らかの偶然を経てリッケルトパーティーに合流
②10巻の二の舞(死を選ぶ)
③ガッツ所持のベヘリットの出番
④すったもんだでララァ・スン(グリフィスとガッツのあいだに入り、どっちつかずのまま退場)

 

 いずれにせよ、ガッツの元からは去るのではないかと自分は考える。

 

 

 以上、薄っぺらい知識を用いて考察した。
 薄っぺらいので、間違っている部分やニュアンスが正確でない部分がきっとある。的外れなこともあるだろう。

 真に受けてはいけない。

 

 


 連載再開は冬、か……。
 それまでにもう三周くらいは読み返して、最新刊を最大限に楽しむために助走をつけておこうと思う。

 

 

 

【ベルセルク考察】フェムト(グリフィス)は「蝕」のとき、なぜキャスカを陵辱したのか?(2800字=約4分で読める)

 前回、「一見完璧人間のグリフィスはガッツに対し、憧れや恐れがあるのでは?」にて劇中のグリフィスの言動をもとにその人物像を考察した。今回はそれを踏まえ、グリフィス(フェムト)は蝕の際にキャスカに対し、なぜあのような蛮行に及んだのか考えてみたい。

 

目次

 

 

グリフィスの女性観とは?

 

男を温めるのは女の役目だ

ベルセルク 4巻』より

 ガッツを一刀のもと斬り(突き)伏せたあと、手当てされたガッツを温めるためにキャスカに添い寝を命じたことを、ジュドーがガッツに語った場面での台詞である。

 このときキャスカは物理的にガッツを暖めていたわけであるが、グリフィスが女の役目といったのは何も物理的な意味だけではないだろう。グリフィスの女性観が端的に表れていて大変興味深い。
 同時に、グリフィスがキャスカのことを「女」として認識し、そう扱っていることも分かる。

 

 

 

グリフィスにとってのキャスカとは?

 

 先に挙げたとおり、グリフィスがキャスカを女として認識し、扱っていることは確かではあるものの、彼女個人にどのような感情を抱いていたか推察するための材料は非常に少ない。

 拷問を受けて再起不能の身となって助け出されるより以前に、鷹の団の団長としてではなく、一個人としてキャスカと「対話」しているような場面がほとんどないのだ。

 強いてあげるのなら、ここで挙げたエピソードだろうか。しかし、キャスカだったからこのようなことを語ったのか、たまたま居合わせたのがキャスカだったからそうなったのかは判然としない。
 また、キャスカとガッツが崖下に落ちた際、貴族たちの反対を振り切って捜索隊を出すことを決断した際に、キャスカとガッツのことを鷹の団の要であり、二人を失うわけにはいかないと言っている(7巻)が、何せあのガッツを含んでいる。純粋にキャスカのことだけをどう思っているのか判断するには難しい。

 一方、自力で立つことさえもできなくなってからは、ずいぶんとキャスカを意識しているように見える場面がある。

 グリフィスを救い出し、城から逃げおおせる際に怒りに任せて兵を切りまくり、返り血に塗れた鬼気迫る様子のガッツに対し、シャルロット王女が「…私 あの方恐い…」とピピンに背負われたグリフィスに寄り添う。
 それを受けてキャスカはガッツの顔を汚す返り血をきれいに拭いながら、「血ぐらい拭え 姫様が恐がってる」と言うのだ。
 その様子にグリフィスは驚いたように、また、衝撃を受けたように目をみはっている。(10巻)

 その後も、ワイアルドにやられ気絶したガッツを平手打ちしながら、「私を…連れて行くんじゃなかったのか!?」と発破をかけるキャスカの様子を凝視したり、ワイアルドに捕まったキャスカを助けたそうな素振りを見せたり、ガッツに助太刀しようとしてジュドーに窘められ、その身を案じて涙をこぼすキャスカの姿を意味深に見つめたりしている。(いずれも10巻)

 そして、決定的とも言える行動を起こす。

 包帯を替えにきたキャスカが桶に入った水をこぼした拍子に抱きつくのである。

 戸惑い、驚いて押し返そうとするキャスカはグリフィスが震えていることに気がついて、抵抗することを止めてなだめるようにその背に手を置いている。

 このとき、グリフィスはなぜキャスカに抱きついたのだろうか。
 幾通りか考えられるのではないだろうか。

①誰かに側にいて欲しかったが、キャスカならばそうしてくれそうだから
②ガッツへの対抗意識
③後にフェムトの姿でそうしたように、そういうつもりだった
④ガッツを引き止めるため
⑤キャスカを慰めるため(キャスカの震えを止めるため)

 こんなところだろうか。
 確定するには材料が少ないので難しいが、自分は①の「誰かに側にいて欲しかったが、キャスカならばそうしてくれそうだから」の可能性が高いのではないかと思っている。

 そうであれば、冒頭で述べた「男を温めるのは女の役目」というグリフィスの女性観にも一致するし、震えているのも説明がつきやすい。

 また、この後ひとり馬車で駆け出したグリフィスは、投げ出されて意識を失っているあいだにキャスカに介護されながら平穏な暮らしをしている夢を見ている。これもキャスカならばそうしてくれそうという期待か、そうしてもらいたいという願望があったためではないだろうか。

 このときのグリフィスはワイアルドによる一連の追跡劇を通し、かつては仲間を率いる立場であったのに、守られるしかない存在になり下がり無力さを痛感させられているばかりか、再起不能であることも確信しはじめている。ましてや「一見完璧人間のグリフィスはガッツに対し、憧れや恐れがあるのでは?」で考察したような、グリフィスがもともと弱さを抱えている人間だとしたら、そのダメージは計り知れない。見えない先に慄いて震え、「誰かに側に居て欲しい」と思っていてもおかしくないだろう。

 

 

 

グリフィスにとって女性は「寒いときに温めて欲しい存在」

 

 グリフィスには恋慕の情や愛などといった類のものは、存在しないか、あったとしても取るに足らないようなものなのではないかと思う。少なくともフェムトに転生する前の頃は。

 以前、シャルロット王女に「(グリフィスの言う)貴いものとは家族や恋人か」と尋ねられた際も「そういう人もいる」とさらりと受け流しているし(6巻)牢獄から助け出されて逃げる際には、身を挺して自分を守った王女の行動にひどく驚いている様子も見受けられる。

 グリフィスを取り巻く女性にはキャスカの他にシャルロット王女もいるが、ガッツに負けて自尊心を傷つけられ、自分の手中に収めておきたかったもの(ガッツ)も失ったグリフィスは雨に濡れて、やはりシャルロットに温めてもらいに行っている。

 グリフィスにとって女性というものは、心身ともに冷えているときに温めてくれる存在であり、それ以上でもそれ以下でもないのではないだろうか。

 

 

 

フェムト蛮行の裏にあるのは、優越・誇示・劣等感の回避・反撃・支配?

 

 以上のようなことから、グリフィスがキャスカに対して特別な感情があったとは思いがたい。ではなぜ、フェムトはあのような行動に出たのだろうか。

 マレーによれば、人間の動機のうち、心理的欲求は28種類に分類されている。
 それに照らし合わせてみると、フェムトの行いは、ガッツに対して優位に立ちたいという欲求(優越)、驚かせてはらはらさせたいという欲求(誇示)、報復によって敗北感を拭い去る(反撃)、無力であった自分との決別(劣等感の回避)、キャスカへの支配(支配)というようなものが入り混じっての結果ではないだろうか。

だとすれば、さすが「渇望の福王」である。

 

 

 

……疲れてきた。

 本当はそのときキャスカは何を思ったのか、今月末発売の最新号で明かされそうなのでその前に考察してみたい、と思っていたがそこまで行けそうにない。
 あと、先日から一体何をしているのだろう……と、不安になってきた。

 今日はここまで。

 

【ベルセルク考察】一見完璧人間のグリフィスはガッツに対し、憧れや恐れがあるのでは?(9000字)

 アニメ放送を機にその存在を思い出し、読み返してみたらやっぱり面白すぎる『ベルセルク

 結末が気になって仕方なくなったので、その要となりそうなグリフィスの心理を劇中の事実、描写に基づいて考察していく。

 以前読んだときは、グリフィスにとってガッツが特別だったのは、部下ではなく「友」だったからだと信じて疑わなかった。しかし、掘り下げてみるとそうではなく、別の思いがありそうであることに気がついた。その辺りを詳細に記してみたい。

 

 劇中から多数の台詞を引用しているので、未読の方、ネタバレ勘弁の方は控えてもらった方が良い。

 当考察に際しては、アニメ、映画、その他媒体は除き、コミックス本編のみを参考にした。

 

 目次

 

 

 

グリフィスという人物

生育歴

 平民の出。繰り返し登場する、城を見上げる場面から幼少期は下町の路地裏で過ごしていた様子だが、父母、兄弟などの家族構成は不明。グリフィスの人格形成に影響があったと思われるような家族間や幼少期のエピソードなども全く語られていない。
 ただし――

 一日に一切れのパンすら口にできないこともありました

『ベルセル 5巻』より

 

 

 シャルロットに対して上記のように語っていることから、かなり苦労したことだけはうかがえる。

 

人物像

 稀な美貌と卓越した剣技を持つ。そればかりか知略にも優れ、兵法にも明るい。人心掌握にも長けた完璧な人間として描かれている。
 他者から見たその人物像はジュドーが劇中で端的に表現している。

「妙に悟っている風に見えたかと思うと まるっきりガキみたいだったり……」
「背筋も凍る様な目をしたかと思うと 赤んぼみたいに無邪気に笑ったり」
「子供なのか大人なのか いいやつなのか大悪党なのか……よくわかんないやつ」

 

ベルセルク 5巻』より

 

 

 ガッツを欲して決闘した際や、ガッツがユリウスの暗殺に成功したことを知った際など、そのような描写は劇中に多々ある。
 
 一方でグリフィスの違った一面を示すようなエピソードも描かれている。

 ある地方の領地紛争に参戦した際の小競り合いで、キャスカも名前が分からないような兵卒見習いの少年が戦死する。彼の死を誰も気もしないなか、グリフィスだけが目を留める。そして、少年の亡骸の傍らに膝をつき、肩を落として「この子を殺したのは…オレの夢なのかも知れない」とこぼすのだ。(7巻)

 その後、グリフィスは資産家から部下達を養うための金を引き出すために体を売るが、その際にキャスカの目に触れ、察知されてしまう。
 キャスカに問われてグリフィスはそれが事実であることを認め、合理的な判断であったことを告げて、さらに以下のように語る。

オレの采配で命を落とした仲間達に…何ら責任を感じてはいないよ…
なぜなら…それはあいつらが自分自身で選んだ戦いなのだろうから
このオレがそうである様にね
…でももし あいつらのために……死者達のために……オレに何かしてやれることがあるとしたら
それは 勝つこと
あいつらが…命を懸けてまでしがみついた オレの夢を成し遂げるために
勝ち続けることだ
オレの夢は仲間の屍の上に立つことでしか実現はできない
しょせん血塗られた夢だ
そのことで後悔や後ろめたさはない だが…
だが……何百何千の命を懸けながら自分だけは汚れずにいられるほど……それほど……オレの欲しいものはたやすく手に入るものではないんだ

 

ベルセルク 7巻』より

  キャスカはこのときに、グリフィスは元もと強い人間だったのではなく、強く在らねばならないためにそうなったのではないか、という風に感じたようだ。

 

グリフィスの夢とは?

「オレは オレの国を手に入れる」

ベルセルク 5巻』より

  国を手に入れてどうしたいのか、なぜ国を手に入れたいのかについて語られる場面はなく、グリフィス視点によって述べられている場面もない。


 ただ、その手がかりになりそうな場面がひとつある。


 「蝕」の際、鷹の団とガッツを生贄にするか否か逡巡しているときに、グリフィスが自身の原点を再認識させられている。


 そのとき、老婆に「どうして路地裏から城を見上げているだけで 満足できなかったんだい!?」と言われ、幼い姿のグリフィスは「そんなのわかんないよ!!」と答えている。

 本人にもその理由は分からないものの、彼がこれまで歩んできた道のりを顧みると、「国を手に入れる」という思いは強烈なものだったことだけはうかがえる。

 

グリフィスの人生観と友人観

 そんなグリフィス自身の人生観と友人観は明確かつ詳細に劇中で語られている。


 ミッドランド王女 シャルロット主催の晩餐会で、ふたりで館を出て主庭(恐らく)にて、戦をよく思っていないシャルロットへと語る場面である。

 グリフィスが男が「血を流すことを好む」のは貴いものを勝ち取り、守るための道具なのだと言うと、シャルロットは貴いものとは家族や恋人か? と尋ねる。

 グリフィスはそういう人もいる、と断ったうえで以下のように述べる。

 誰のためでもない 自分が……自分自身のために成す夢です
 世界の覇権を夢見る者 ただ一本の剣を鍛え上げることに一生を捧げる者
 一人で一生をかけて探求していく夢もあれば 嵐の様に他の何千何万の夢を喰らい潰す夢もあります
 身分や階級…生い立ちに係わりなく それが叶おうと叶うまいと人は夢に恋い焦がれます
 夢に支えられれ 夢に苦しみ 夢に生かされ 夢に殺される
 そして夢に見捨てられたあとでも それは心の底でくすぶり続ける……
 たぶん死の間際まで……
 そんな一生を男なら一度は思い描くはずです
 ”夢”という名の神の……殉教者としての一生を……

 生まれてしまったから しかたなくただ生きる……そんな生き方オレには耐えられない

ベルセルク 6巻』より

  そして、グリフィスのことを「不思議な魅力のある方」と評し、鷹の団の団員達もそんな魅力に引かれてついてきたのだろう、と言うシャルロットに対し、続けて以下のように友人観を語っているのだ。

彼らは…優秀な部下です
何度も一緒に死線を越えて来た……私の思い描く夢のためにその身をゆだねてくれる大切な仲間…
…でも 私にとって友とは…… 違います
決して人の夢にすがったりはしない……誰にも強いられることなく 自分の生きる理由は自らが定め進んでいく者……
そして その夢を踏みにじるものがあれば 全身全霊をかけて立ちむかう…
たとえそれがこの私自身であったとしても…
私にとって友とは そんな… ”対等の者”だと思っています

ベルセルク 6巻』より

 グリフィスはたとえ、夢のせいで苦しんだり殺されたりするようなことがあったとしても、夢を持たない生き方など、自分には耐えられない。


 また、自分にとって友とは、決して人の夢にすがったりせず、誰に強要されることもなく、自分の生きる理由は自分で決めて進んでいく者である。そして、その夢(自分の生きる理由)を踏みにじるものがあれば、たとえそれが自分であったとしても、全身全霊をかけて立ち向かってくる"対等の者”であると明言している。

 

ガッツへの思いは友情か?

 出会った当初から、ガッツへ対して予覚のようにして特別な思いがあったことは、劇中ではっきり描写されている。

 グリフィスはガッツを鷹の団に引き入れるために決闘するが、その際に率直に「お前が欲しい」と口にしている。それを聞いたキャスカが「グリフィスはそんなこと誰にも言ったことない」と驚き、不安に思っているのだ。

 また、鷹の団の一員となったガッツにとって緒戦とも言える戦では、殿(しんがり)を任せ、窮地に陥ったガッツをピピンジュドーを率いて自ら救いに行く。
 その後、なぜわざわざ助けに戻ったのか、とガッツに問われ「ケチな戦で優秀な手駒を失いたくない」と答えている。

 これら一連の流れから、グリフィス自身も当初は自分にとってなぜガッツが特別なのか、はっきりとは自覚しておらず、「戦力として使えるから」と思っていた節がある。

 しかしながら、常にグリフィスの傍らにあり、その思いから彼をつぶさに見ていたキャスカには、かなり早い段階からガッツがグリフィスにとってただならぬ存在になりそうであることを、予見していたことがうかがえる。

 その後、グリフィス自身もガッツへの思いが特別なものであることを自覚していくようだ。
 ゾッド初登場の際、グリフィスはまた部下を率いてガッツを助けにいく。その際は自分の身の危険を押してまで、ガッツを助けている。
 その後、ガッツにまたなぜ自分を助けるのかと問われ、三年も前の話をこだわるね、と揶揄しながらも以下のように答えている。

理由なんて無いさ… 何も…
必要か…? 理由が…
……オレが おまえのために体をはることに……
いちいち理由が… 必要なのか……?

ベルセルク 5巻』より

  この場面ではグリフィスは階段の柵の縁に頬杖をつき、ガッツを見るわけでなく、空を仰ぎながら言っているため自問しているかのようにも見える。
 しかし6巻冒頭ではその場面が繰り返された後、じっと問うようにガッツを見つめるのだ。
 このとき、グリフィスはガッツの問いかけによって、自分が彼に抱いている特別な何かに自身で気付いたのではないだろうか。

 

 しかし、実際のところグリフィスがガッツに抱く「特別な何か」が、友情であったとするとどうも釈然としない。


 前述したとおり、グリフィスは自身の友人観についてはっきりと詳細にシャルロットに対して語っているが、もし、グリフィスにとってガッツが友であるという認識がはっきりあったとすれば、これはガッツのことを形容している言葉とも言えるはず。
 しかし、この時点ではガッツには自分の夢があるわけでもない。それどころか、自分の生きる理由も分からず、それに苦しんでいる節さえある。
 グリフィスの友人像にこのときのガッツは全くと言ってよいほど当てはまっていないのだ。

 また、グリフィスがガッツのことを友人とは思っていなかったことを示唆するものに、以下のようなものもある。

 別離の決闘場面ではグリフィス視点で克明にその思いが記されている。

……いつもの様なムキ出しの闘志が感じられない 静かな目をしている
……だがそれでいて隙が無い 迷いの無い目だ
それだけ決意が固いということか……
行きたいのか!? そんなに……
オレの手の中から出て行きたいのか!?
……だめだ だめだ!!
許さない!! 行かせない!!!
(中略)
本当に殺してしまうことも……!!
……それでも 手に入らないのなら それでも…!!
かまわない!!

ベルセルク 8巻』より

 「オレの手の中から出て行きたいのか!?」という文言が表すように、グリフィスはガッツのことを”対等の者”とは考えておらず、自分の手の中にあるもの(=自分のもの)と思っているし、この手のなかに納めておけないのなら殺してしまうことさえも厭わないとすら思っているのだ。

 

友情でないのなら、グリフィスがガッツに対して持っていた思いの正体は何か?

 自分はこれが、二人の決着につながるものであり、物語の根幹に関わると思っている。

 ガッツに敗れて破滅の道を進み、凄惨な拷問を受けた後、再起不能の体となって牢の床に転がされているグリフィスの心理が以下のように記されている。

あいつだけが
まるで闇夜の雷のように鮮烈にオレの中に浮かび上がる
そして繰り返し 繰り返し 津波にように押し寄せる 無数の感情
憎悪 友愛 嫉妬 空しさ 悔しさ いとおしさ 悲しみ 切なさ 飢餓感
渇望し去来するいくつもの感情
そのどれでもない そしてすべてを内含した巨大な激情の渦
それだけが無感の中 消え入りそうになる意識を くさびとなって繋ぎ止める
(中略)
オレはあいつのこととなると いつも冷静ではいられなくなる
オレをこの闇の中に閉じ込める原因となったあいつが 今は唯一オレの生命を繋ぐ糧となっている
数千の仲間 数万の敵の中でただ一人あいつだけが なぜ……?
いつからだろう 手に入れたはずのあいつが 逆にこんなにも強くオレを掌握してしまったのは

遠い日 あの路地裏の石畳から始まった 終わらない遊び
オレにとって 唯一神聖な がらくたを手にするための巡礼の旅
だが あいつは今 オレの中で そのがらくたが色あせるほど ギラギラと目に痛い

ベルセルク 10巻』より

  ガッツに対してこれほどまでの複雑かつ激しい思いを抱えていながら、「なぜ……?」と自問しているように、自分でその理由を分かっていないのである。
 この後、最新刊に至るまで、グリフィスがガッツに覚えている強い執着の理由がはっきりと描かれている場面は、確認したかぎりはない。

 

 ここから先は多少飛躍があることを断って書き進めたい。

 

 繰り返すが、グリフィスがなぜガッツに対して強い執着を持っているか劇中に描かれていない。しかし、間接的に関わりがあると思われるようなものがある。

「みんな弱いんだ 弱いから 人や夢にすがってる」

ベルセルク 12巻』より

  グリフィスが再起不能であることが知らされ、意気消沈する鷹の団の前で「自分で挑んだ戦のケリぐらい自分でつけろ」と言おうとしたガッツを制した後、キャスカが言った言葉である。

「夢とはおかしなもんだ 勇ましい挑戦のようにも思えるが 甘えた逃避の様にも思える」

ベルセルク 25巻』より

  こちらは、刀身の短い剣をイシドロに渡し、モーガンが言った言葉だ。

 「夢」というキーワードに象徴される劇中の人物というと、真っ先にグリフィスのことが思い出されるのではないだろうか。何せ彼は夢を持たない生き方など、耐えられないと名言している人物である。

 キャスカの台詞はガッツへ、モーガンの台詞はイシドロへと、それぞれの場面に合わせて語られているが、暗にグリフィスのことを示しているとすれば、グリフィスは弱い人間で、夢という逃避がなければ生きていけなかったと解釈することもできるのではないだろうか。

 一方、ガッツはそんなグリフィスとは対照的だ。
 本人はグリフィスのような夢を持っていないこと、目的なく生きていることを悩んでいたものの、どんなに追い込まれても決して生きることを止めようとしないし、実際、人のまま生き続けている。生に対して貪欲なのだ。

 ガッツは親代わりであり、自らも愛情を求めていた存在であったガンビーノを意図せず殺めてしまい、彼の傭兵団を追われる。その際に矢を射掛けられ崖下へと転落し、気を失ってしまう。
 水に半身を浸しながら意識を取り戻すと、満点の星空が広がり、満月が浮かんでいる。
 そして、満月を見つめながら満身創痍、心も深く傷ついているのに立ち上がり、剣を持ってふらふらと歩き出すのだ。

何処へ行こうってんだ……?
あのまま倒れてりゃ楽なのに あのまま死んじまった方が……
いやなことだけじゃないか
何処へ……?

ベルセルク 4巻』より

  と、自問しながら。

 この場面を注意深く見ると、後にグリフィスが絶望を覚えるシーンと酷似しつつ、対照的である。

 馬車から放り出され、半身を水に浸しながら意識を取り戻したグリフィスが見上げているのは、夕暮れの空。
 起き上がり、ただでさえぼろぼろの体であったのに折れた右腕(夢を掴むための剣の柄を握る方の手、という意図ではないかと思う)を見つめて壊れたように笑う。
 そして、先の尖った流木のようなものを見つけて自ら命を断つことを試みるものの、それすら叶わずに嗚咽するのだ。(12巻)

 絶望のなか立ち上がったガッツとは真逆だ。

 グリフィスは夢のない生き方は耐えられない、と言いつつもガッツだけが唯一人夢を忘れさせたとも自覚している。(12巻)

 グリフィスにとっての夢(自分の国を手に入れる)とは、生きていくための手段であったため、その手段を持たずとも逞しく生きるガッツは非常に眩しい存在だったのではないだろうか。そのため、夢<ガッツ の図式が成立するのではないかと思う。

 前置きが長くなったが、以上のようなことから、グリフィスがガッツに対して持つ強い思いの根底にあるのは、「自分にはない、どのような困難においても自ら立ち上がるその強さ」に対する憧憬や畏怖ではないかと推測する。

 

グリフィスがガッツと鷹の団の仲間達を捧げた理由

「すべては因果の流れの中に」と言ってしまえばそれまでだが、それでは身も蓋もない。因果には必然性が必要なので、これまでの流れから考えてみたい。

 深紅のベヘリットが血涙を流し「蝕」が起きる直前、ガッツとキャスカの会話によってグリフィスはガッツが出て行った理由を知っている。
 ガッツは自分と対等の存在になるために、友になるために出ていったのだ。
 それを知り、グリフィスは「どうして終わったり なくしたりしてから いつもそうだと気がつくんだろう」とガッツと全く同じように述懐している。(12巻)

 しかし、今のグリフィスはすでに再起不能でひとりで立ち上がることさえできない。
 ガッツへ対し、先に挙げたような彼の持つ強さに憧憬や畏怖のようなものを持っていたとすれば、グリフィスがガッツと対等でいようとするためには、もはや転生するしかなかったのではないだろうか。

 グリフィスはガッツと仲間達を捧げることで、ガッツと真の友になろうとしたのではないか。
 しかも、あのガッツならばどのような状況になったとしても生き残るかもしれない、とすらどこかで思っていたかもしれないし、望んでいたのではないかと思う。

 

フェムトへ転生した後のグリフィスは何を考えているのか?

 転生後または受肉後のグリフィスの心理描写は非常に少ない。

 フェムトの姿で「…まだ… そんなところを這いずり回っていたのか」「貴様は這いずり回る生贄にすぎん」と、蔑みとも挑発ともとれる言葉をガッツ投げかけたりしているものの(3巻)、その意図は定かではない。

 もし蔑みだとすれば、転生前人間であった頃の思いは区切りがついて新たな生(生と言ってよいのかどうか分からないが)を歩んでいると思われるが、挑発だとすればやはりガッツを友として思っているとも考えられる。

 また、受肉後、剣の丘に現れたグリフィスはガッツに向かって以下のように言っている。

確かめに来たんだ
この新しい肉体で おまえの前に立って 心を揺さぶる何かがあるのか
どうやら オレは自由だ

ベルセルク 22巻』より

  この言葉からすると、転生前の思いはきれいに消化されているようにも思える。
 しかし、ゾッドと戦うガッツを眺めながら――

鼓動……

微かに高鳴っている

オレの血は凍てついたはず

…これはオレの器となり融け合った あの赤子の想いか

 

ベルセルク 22巻』より

 と、独白している。

 

 その後、ゾットの手のひらの上に乗って飛び去っていく際にはキャスカを落石から守ったことを思い返し、再び胸の高鳴りを覚えているようである。これもキャスカとガッツの子である妖魔のせいなのか、グリフィスの自我によるものなのか、どちらともとれるように思う。

 その後も表情は無表情が多く、意味深に佇んだりしているだけでその思いが語られる場面や特定できるような描写はない。

 しかし、ガニシュカ大帝の最期(34巻)やテレジアの父・「伯爵」の二度目の「降魔の儀」の様子を踏まえると、転生したあとの使徒は、必ずしも人間らしい感情を失う訳ではないようである。
 それどころか、そもそもの転生のきっかけになった人間時代に味わった辛い思いをよく覚えているようだ。彼らの蛮行はそれが原動力になっていることも少なくない。
 ゴッドハンドであるフェムト(グリフィス)が当てはまるかどうかは不明だが、この流れからすると、転生前の体験や思いが、きれいさっぱり消えている可能性は低いのではないかと思う。

 現状でほどんとそれが描かれていないのは、物語の結末に関わってくるからではないだろうか。

 

グリフィスとガッツの因縁の決着は?

 ストーリー自体はどんどん世界観が広がっており、多くの人物達が登場し、複雑に絡み合っている。

 伏線もばら撒かれ続けている。そちら側から予想しようとすると、まだまだ明かされていない要素もありそうなのでかなり難しい。

 

 述べてきたようなグリフィスという存在とガッツとの関係性という観点から、ストーリーの終着地点を示唆していそうなものに以下をあげる。

皮肉なもんだぜ 神さまにすがって
あの塔に逃げ込んだ連中が自分達の重さで塔を倒しておっ死んで
逆に神にすがらず一目散に逃げ出した不信心者達の方が生き残った
実際 もう二度とお祈りする気にはなれねぇわな

 

生き延びようとすることと
恐怖から逃れようとすることはべっこのことだよ
恐怖に我を忘れて周りに流されずに最後まで生きのびるために
行動した者が順当に生き残ったんだ

 

ベルセルク 21巻』より、ジェロームとルカの会話

  グリフィスは夢を追う生のことをシャルロットとの会話のなかで「”夢”という名の神の殉教者」と表現している。(5巻)
 劇中では神にすがる者、すがろうとする者はいずれもうまくいっていない。ファルネーゼの変化もそれを象徴しているように感じる。

 では、信奉の対象となりつつある受肉後のグリフィス(神)はどうだろうか。
 神にすがろうとする者が駄目なのだから、神になろうとする者もどうも身を滅ぼしそうな気がしてならない。

 さらに――

人は強いってだけで
誰かを傷つけてしまい
弱いってだけで誰かを憎んでしまう
(中略)
同じ弱さと同じ罪を背負ったこの人と 一緒に行こうと思うの
この人とならお互いにほんの少し強く 優しくなれそうな気がするから

ベルセルク 21巻』より

 ヨアヒムとともに旅立つことを決めたニーナの言葉である。

 強い人をガッツ、弱い人をグリフィスとして読むと感慨深い。


 ガッツの強さがグリフィスを傷つけ、グリフィスの弱さがガッツを憎んだのだとしたら、種類は違っても二人は同じ罪を背負ったとも考えられる。
 そして、少なくともガッツは自分がグリフィスにそうさせてしまったのかもしれない、ということを自覚していると思われる場面が劇中にたびたびある。

 一見完璧で隙がなく「光」を象徴するようだが、すがるものがなければ生きていけなかった弱さを内包するグリフィスと、常に思い悩み手負いの獣のようだが、芯には揺ぎない強さを持つガッツ。


 グリフィスは鬼畜の所業に及んだわけではあるが、このまま「弱さを抱えた者はこじらせた挙句、破滅する」という結論では居たたまれない。恐らく、ガッツがグリフィスを討ってめでたし、めでたしという訳にはいかないのではないだろうか。

 二人がどのような結末を迎えるのかは、キャスカ次第かもしれない。

 キャスカはグリフィスの弱さを知っていたし、グリフィスも自身の弱さを受け入れてくれる存在だと思っていた節がある。
 しかし、そのキャスカすらガッツは奪ってしまいそうだった。
 というか、奪っていた。奪い返していたけれど。
 その結果キャスカは退行してしまって、傍から見ると心はどちらのものか分からなくなった。
 近く(恐らく次回の351話で)、キャスカの心の有り様が明かされそうなので、それを待ってまた改めて考えてみたい。

 

 

 

……一個人の見解なので、真に受けてはいけないし、同じものを見てどのような思いや考えを抱くかは各々の自由だ。