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【ベルセルク考察】フェムト(グリフィス)は「蝕」のとき、なぜキャスカを陵辱したのか?(2800字=約4分で読める)

 前回、「一見完璧人間のグリフィスはガッツに対し、憧れや恐れがあるのでは?」にて劇中のグリフィスの言動をもとにその人物像を考察した。今回はそれを踏まえ、グリフィス(フェムト)は蝕の際にキャスカに対し、なぜあのような蛮行に及んだのか考えてみたい。

 

目次

 

 

グリフィスの女性観とは?

 

男を温めるのは女の役目だ

ベルセルク 4巻』より

 ガッツを一刀のもと斬り(突き)伏せたあと、手当てされたガッツを温めるためにキャスカに添い寝を命じたことを、ジュドーがガッツに語った場面での台詞である。

 このときキャスカは物理的にガッツを暖めていたわけであるが、グリフィスが女の役目といったのは何も物理的な意味だけではないだろう。グリフィスの女性観が端的に表れていて大変興味深い。
 同時に、グリフィスがキャスカのことを「女」として認識し、そう扱っていることも分かる。

 

 

 

グリフィスにとってのキャスカとは?

 

 先に挙げたとおり、グリフィスがキャスカを女として認識し、扱っていることは確かではあるものの、彼女個人にどのような感情を抱いていたか推察するための材料は非常に少ない。

 拷問を受けて再起不能の身となって助け出されるより以前に、鷹の団の団長としてではなく、一個人としてキャスカと「対話」しているような場面がほとんどないのだ。

 強いてあげるのなら、ここで挙げたエピソードだろうか。しかし、キャスカだったからこのようなことを語ったのか、たまたま居合わせたのがキャスカだったからそうなったのかは判然としない。
 また、キャスカとガッツが崖下に落ちた際、貴族たちの反対を振り切って捜索隊を出すことを決断した際に、キャスカとガッツのことを鷹の団の要であり、二人を失うわけにはいかないと言っている(7巻)が、何せあのガッツを含んでいる。純粋にキャスカのことだけをどう思っているのか判断するには難しい。

 一方、自力で立つことさえもできなくなってからは、ずいぶんとキャスカを意識しているように見える場面がある。

 グリフィスを救い出し、城から逃げおおせる際に怒りに任せて兵を切りまくり、返り血に塗れた鬼気迫る様子のガッツに対し、シャルロット王女が「…私 あの方恐い…」とピピンに背負われたグリフィスに寄り添う。
 それを受けてキャスカはガッツの顔を汚す返り血をきれいに拭いながら、「血ぐらい拭え 姫様が恐がってる」と言うのだ。
 その様子にグリフィスは驚いたように、また、衝撃を受けたように目をみはっている。(10巻)

 その後も、ワイアルドにやられ気絶したガッツを平手打ちしながら、「私を…連れて行くんじゃなかったのか!?」と発破をかけるキャスカの様子を凝視したり、ワイアルドに捕まったキャスカを助けたそうな素振りを見せたり、ガッツに助太刀しようとしてジュドーに窘められ、その身を案じて涙をこぼすキャスカの姿を意味深に見つめたりしている。(いずれも10巻)

 そして、決定的とも言える行動を起こす。

 包帯を替えにきたキャスカが桶に入った水をこぼした拍子に抱きつくのである。

 戸惑い、驚いて押し返そうとするキャスカはグリフィスが震えていることに気がついて、抵抗することを止めてなだめるようにその背に手を置いている。

 このとき、グリフィスはなぜキャスカに抱きついたのだろうか。
 幾通りか考えられるのではないだろうか。

①誰かに側にいて欲しかったが、キャスカならばそうしてくれそうだから
②ガッツへの対抗意識
③後にフェムトの姿でそうしたように、そういうつもりだった
④ガッツを引き止めるため
⑤キャスカを慰めるため(キャスカの震えを止めるため)

 こんなところだろうか。
 確定するには材料が少ないので難しいが、自分は①の「誰かに側にいて欲しかったが、キャスカならばそうしてくれそうだから」の可能性が高いのではないかと思っている。

 そうであれば、冒頭で述べた「男を温めるのは女の役目」というグリフィスの女性観にも一致するし、震えているのも説明がつきやすい。

 また、この後ひとり馬車で駆け出したグリフィスは、投げ出されて意識を失っているあいだにキャスカに介護されながら平穏な暮らしをしている夢を見ている。これもキャスカならばそうしてくれそうという期待か、そうしてもらいたいという願望があったためではないだろうか。

 このときのグリフィスはワイアルドによる一連の追跡劇を通し、かつては仲間を率いる立場であったのに、守られるしかない存在になり下がり無力さを痛感させられているばかりか、再起不能であることも確信しはじめている。ましてや「一見完璧人間のグリフィスはガッツに対し、憧れや恐れがあるのでは?」で考察したような、グリフィスがもともと弱さを抱えている人間だとしたら、そのダメージは計り知れない。見えない先に慄いて震え、「誰かに側に居て欲しい」と思っていてもおかしくないだろう。

 

 

 

グリフィスにとって女性は「寒いときに温めて欲しい存在」

 

 グリフィスには恋慕の情や愛などといった類のものは、存在しないか、あったとしても取るに足らないようなものなのではないかと思う。少なくともフェムトに転生する前の頃は。

 以前、シャルロット王女に「(グリフィスの言う)貴いものとは家族や恋人か」と尋ねられた際も「そういう人もいる」とさらりと受け流しているし(6巻)牢獄から助け出されて逃げる際には、身を挺して自分を守った王女の行動にひどく驚いている様子も見受けられる。

 グリフィスを取り巻く女性にはキャスカの他にシャルロット王女もいるが、ガッツに負けて自尊心を傷つけられ、自分の手中に収めておきたかったもの(ガッツ)も失ったグリフィスは雨に濡れて、やはりシャルロットに温めてもらいに行っている。

 グリフィスにとって女性というものは、心身ともに冷えているときに温めてくれる存在であり、それ以上でもそれ以下でもないのではないだろうか。

 

 

 

フェムト蛮行の裏にあるのは、優越・誇示・劣等感の回避・反撃・支配?

 

 以上のようなことから、グリフィスがキャスカに対して特別な感情があったとは思いがたい。ではなぜ、フェムトはあのような行動に出たのだろうか。

 マレーによれば、人間の動機のうち、心理的欲求は28種類に分類されている。
 それに照らし合わせてみると、フェムトの行いは、ガッツに対して優位に立ちたいという欲求(優越)、驚かせてはらはらさせたいという欲求(誇示)、報復によって敗北感を拭い去る(反撃)、無力であった自分との決別(劣等感の回避)、キャスカへの支配(支配)というようなものが入り混じっての結果ではないだろうか。

だとすれば、さすが「渇望の福王」である。

 

 

 

……疲れてきた。

 本当はそのときキャスカは何を思ったのか、今月末発売の最新号で明かされそうなのでその前に考察してみたい、と思っていたがそこまで行けそうにない。
 あと、先日から一体何をしているのだろう……と、不安になってきた。

 今日はここまで。

 

【ベルセルク考察】一見完璧人間のグリフィスはガッツに対し、憧れや恐れがあるのでは?(9000字)

 アニメ放送を機にその存在を思い出し、読み返してみたらやっぱり面白すぎる『ベルセルク

 結末が気になって仕方なくなったので、その要となりそうなグリフィスの心理を劇中の事実、描写に基づいて考察していく。

 以前読んだときは、グリフィスにとってガッツが特別だったのは、部下ではなく「友」だったからだと信じて疑わなかった。しかし、掘り下げてみるとそうではなく、別の思いがありそうであることに気がついた。その辺りを詳細に記してみたい。

 

 劇中から多数の台詞を引用しているので、未読の方、ネタバレ勘弁の方は控えてもらった方が良い。

 当考察に際しては、アニメ、映画、その他媒体は除き、コミックス本編のみを参考にした。

 

 目次

 

 

 

グリフィスという人物

生育歴

 平民の出。繰り返し登場する、城を見上げる場面から幼少期は下町の路地裏で過ごしていた様子だが、父母、兄弟などの家族構成は不明。グリフィスの人格形成に影響があったと思われるような家族間や幼少期のエピソードなども全く語られていない。
 ただし――

 一日に一切れのパンすら口にできないこともありました

『ベルセル 5巻』より

 

 

 シャルロットに対して上記のように語っていることから、かなり苦労したことだけはうかがえる。

 

人物像

 稀な美貌と卓越した剣技を持つ。そればかりか知略にも優れ、兵法にも明るい。人心掌握にも長けた完璧な人間として描かれている。
 他者から見たその人物像はジュドーが劇中で端的に表現している。

「妙に悟っている風に見えたかと思うと まるっきりガキみたいだったり……」
「背筋も凍る様な目をしたかと思うと 赤んぼみたいに無邪気に笑ったり」
「子供なのか大人なのか いいやつなのか大悪党なのか……よくわかんないやつ」

 

ベルセルク 5巻』より

 

 

 ガッツを欲して決闘した際や、ガッツがユリウスの暗殺に成功したことを知った際など、そのような描写は劇中に多々ある。
 
 一方でグリフィスの違った一面を示すようなエピソードも描かれている。

 ある地方の領地紛争に参戦した際の小競り合いで、キャスカも名前が分からないような兵卒見習いの少年が戦死する。彼の死を誰も気もしないなか、グリフィスだけが目を留める。そして、少年の亡骸の傍らに膝をつき、肩を落として「この子を殺したのは…オレの夢なのかも知れない」とこぼすのだ。(7巻)

 その後、グリフィスは資産家から部下達を養うための金を引き出すために体を売るが、その際にキャスカの目に触れ、察知されてしまう。
 キャスカに問われてグリフィスはそれが事実であることを認め、合理的な判断であったことを告げて、さらに以下のように語る。

オレの采配で命を落とした仲間達に…何ら責任を感じてはいないよ…
なぜなら…それはあいつらが自分自身で選んだ戦いなのだろうから
このオレがそうである様にね
…でももし あいつらのために……死者達のために……オレに何かしてやれることがあるとしたら
それは 勝つこと
あいつらが…命を懸けてまでしがみついた オレの夢を成し遂げるために
勝ち続けることだ
オレの夢は仲間の屍の上に立つことでしか実現はできない
しょせん血塗られた夢だ
そのことで後悔や後ろめたさはない だが…
だが……何百何千の命を懸けながら自分だけは汚れずにいられるほど……それほど……オレの欲しいものはたやすく手に入るものではないんだ

 

ベルセルク 7巻』より

  キャスカはこのときに、グリフィスは元もと強い人間だったのではなく、強く在らねばならないためにそうなったのではないか、という風に感じたようだ。

 

グリフィスの夢とは?

「オレは オレの国を手に入れる」

ベルセルク 5巻』より

  国を手に入れてどうしたいのか、なぜ国を手に入れたいのかについて語られる場面はなく、グリフィス視点によって述べられている場面もない。


 ただ、その手がかりになりそうな場面がひとつある。


 「蝕」の際、鷹の団とガッツを生贄にするか否か逡巡しているときに、グリフィスが自身の原点を再認識させられている。


 そのとき、老婆に「どうして路地裏から城を見上げているだけで 満足できなかったんだい!?」と言われ、幼い姿のグリフィスは「そんなのわかんないよ!!」と答えている。

 本人にもその理由は分からないものの、彼がこれまで歩んできた道のりを顧みると、「国を手に入れる」という思いは強烈なものだったことだけはうかがえる。

 

グリフィスの人生観と友人観

 そんなグリフィス自身の人生観と友人観は明確かつ詳細に劇中で語られている。


 ミッドランド王女 シャルロット主催の晩餐会で、ふたりで館を出て主庭(恐らく)にて、戦をよく思っていないシャルロットへと語る場面である。

 グリフィスが男が「血を流すことを好む」のは貴いものを勝ち取り、守るための道具なのだと言うと、シャルロットは貴いものとは家族や恋人か? と尋ねる。

 グリフィスはそういう人もいる、と断ったうえで以下のように述べる。

 誰のためでもない 自分が……自分自身のために成す夢です
 世界の覇権を夢見る者 ただ一本の剣を鍛え上げることに一生を捧げる者
 一人で一生をかけて探求していく夢もあれば 嵐の様に他の何千何万の夢を喰らい潰す夢もあります
 身分や階級…生い立ちに係わりなく それが叶おうと叶うまいと人は夢に恋い焦がれます
 夢に支えられれ 夢に苦しみ 夢に生かされ 夢に殺される
 そして夢に見捨てられたあとでも それは心の底でくすぶり続ける……
 たぶん死の間際まで……
 そんな一生を男なら一度は思い描くはずです
 ”夢”という名の神の……殉教者としての一生を……

 生まれてしまったから しかたなくただ生きる……そんな生き方オレには耐えられない

ベルセルク 6巻』より

  そして、グリフィスのことを「不思議な魅力のある方」と評し、鷹の団の団員達もそんな魅力に引かれてついてきたのだろう、と言うシャルロットに対し、続けて以下のように友人観を語っているのだ。

彼らは…優秀な部下です
何度も一緒に死線を越えて来た……私の思い描く夢のためにその身をゆだねてくれる大切な仲間…
…でも 私にとって友とは…… 違います
決して人の夢にすがったりはしない……誰にも強いられることなく 自分の生きる理由は自らが定め進んでいく者……
そして その夢を踏みにじるものがあれば 全身全霊をかけて立ちむかう…
たとえそれがこの私自身であったとしても…
私にとって友とは そんな… ”対等の者”だと思っています

ベルセルク 6巻』より

 グリフィスはたとえ、夢のせいで苦しんだり殺されたりするようなことがあったとしても、夢を持たない生き方など、自分には耐えられない。


 また、自分にとって友とは、決して人の夢にすがったりせず、誰に強要されることもなく、自分の生きる理由は自分で決めて進んでいく者である。そして、その夢(自分の生きる理由)を踏みにじるものがあれば、たとえそれが自分であったとしても、全身全霊をかけて立ち向かってくる"対等の者”であると明言している。

 

ガッツへの思いは友情か?

 出会った当初から、ガッツへ対して予覚のようにして特別な思いがあったことは、劇中ではっきり描写されている。

 グリフィスはガッツを鷹の団に引き入れるために決闘するが、その際に率直に「お前が欲しい」と口にしている。それを聞いたキャスカが「グリフィスはそんなこと誰にも言ったことない」と驚き、不安に思っているのだ。

 また、鷹の団の一員となったガッツにとって緒戦とも言える戦では、殿(しんがり)を任せ、窮地に陥ったガッツをピピンジュドーを率いて自ら救いに行く。
 その後、なぜわざわざ助けに戻ったのか、とガッツに問われ「ケチな戦で優秀な手駒を失いたくない」と答えている。

 これら一連の流れから、グリフィス自身も当初は自分にとってなぜガッツが特別なのか、はっきりとは自覚しておらず、「戦力として使えるから」と思っていた節がある。

 しかしながら、常にグリフィスの傍らにあり、その思いから彼をつぶさに見ていたキャスカには、かなり早い段階からガッツがグリフィスにとってただならぬ存在になりそうであることを、予見していたことがうかがえる。

 その後、グリフィス自身もガッツへの思いが特別なものであることを自覚していくようだ。
 ゾッド初登場の際、グリフィスはまた部下を率いてガッツを助けにいく。その際は自分の身の危険を押してまで、ガッツを助けている。
 その後、ガッツにまたなぜ自分を助けるのかと問われ、三年も前の話をこだわるね、と揶揄しながらも以下のように答えている。

理由なんて無いさ… 何も…
必要か…? 理由が…
……オレが おまえのために体をはることに……
いちいち理由が… 必要なのか……?

ベルセルク 5巻』より

  この場面ではグリフィスは階段の柵の縁に頬杖をつき、ガッツを見るわけでなく、空を仰ぎながら言っているため自問しているかのようにも見える。
 しかし6巻冒頭ではその場面が繰り返された後、じっと問うようにガッツを見つめるのだ。
 このとき、グリフィスはガッツの問いかけによって、自分が彼に抱いている特別な何かに自身で気付いたのではないだろうか。

 

 しかし、実際のところグリフィスがガッツに抱く「特別な何か」が、友情であったとするとどうも釈然としない。


 前述したとおり、グリフィスは自身の友人観についてはっきりと詳細にシャルロットに対して語っているが、もし、グリフィスにとってガッツが友であるという認識がはっきりあったとすれば、これはガッツのことを形容している言葉とも言えるはず。
 しかし、この時点ではガッツには自分の夢があるわけでもない。それどころか、自分の生きる理由も分からず、それに苦しんでいる節さえある。
 グリフィスの友人像にこのときのガッツは全くと言ってよいほど当てはまっていないのだ。

 また、グリフィスがガッツのことを友人とは思っていなかったことを示唆するものに、以下のようなものもある。

 別離の決闘場面ではグリフィス視点で克明にその思いが記されている。

……いつもの様なムキ出しの闘志が感じられない 静かな目をしている
……だがそれでいて隙が無い 迷いの無い目だ
それだけ決意が固いということか……
行きたいのか!? そんなに……
オレの手の中から出て行きたいのか!?
……だめだ だめだ!!
許さない!! 行かせない!!!
(中略)
本当に殺してしまうことも……!!
……それでも 手に入らないのなら それでも…!!
かまわない!!

ベルセルク 8巻』より

 「オレの手の中から出て行きたいのか!?」という文言が表すように、グリフィスはガッツのことを”対等の者”とは考えておらず、自分の手の中にあるもの(=自分のもの)と思っているし、この手のなかに納めておけないのなら殺してしまうことさえも厭わないとすら思っているのだ。

 

友情でないのなら、グリフィスがガッツに対して持っていた思いの正体は何か?

 自分はこれが、二人の決着につながるものであり、物語の根幹に関わると思っている。

 ガッツに敗れて破滅の道を進み、凄惨な拷問を受けた後、再起不能の体となって牢の床に転がされているグリフィスの心理が以下のように記されている。

あいつだけが
まるで闇夜の雷のように鮮烈にオレの中に浮かび上がる
そして繰り返し 繰り返し 津波にように押し寄せる 無数の感情
憎悪 友愛 嫉妬 空しさ 悔しさ いとおしさ 悲しみ 切なさ 飢餓感
渇望し去来するいくつもの感情
そのどれでもない そしてすべてを内含した巨大な激情の渦
それだけが無感の中 消え入りそうになる意識を くさびとなって繋ぎ止める
(中略)
オレはあいつのこととなると いつも冷静ではいられなくなる
オレをこの闇の中に閉じ込める原因となったあいつが 今は唯一オレの生命を繋ぐ糧となっている
数千の仲間 数万の敵の中でただ一人あいつだけが なぜ……?
いつからだろう 手に入れたはずのあいつが 逆にこんなにも強くオレを掌握してしまったのは

遠い日 あの路地裏の石畳から始まった 終わらない遊び
オレにとって 唯一神聖な がらくたを手にするための巡礼の旅
だが あいつは今 オレの中で そのがらくたが色あせるほど ギラギラと目に痛い

ベルセルク 10巻』より

  ガッツに対してこれほどまでの複雑かつ激しい思いを抱えていながら、「なぜ……?」と自問しているように、自分でその理由を分かっていないのである。
 この後、最新刊に至るまで、グリフィスがガッツに覚えている強い執着の理由がはっきりと描かれている場面は、確認したかぎりはない。

 

 ここから先は多少飛躍があることを断って書き進めたい。

 

 繰り返すが、グリフィスがなぜガッツに対して強い執着を持っているか劇中に描かれていない。しかし、間接的に関わりがあると思われるようなものがある。

「みんな弱いんだ 弱いから 人や夢にすがってる」

ベルセルク 12巻』より

  グリフィスが再起不能であることが知らされ、意気消沈する鷹の団の前で「自分で挑んだ戦のケリぐらい自分でつけろ」と言おうとしたガッツを制した後、キャスカが言った言葉である。

「夢とはおかしなもんだ 勇ましい挑戦のようにも思えるが 甘えた逃避の様にも思える」

ベルセルク 25巻』より

  こちらは、刀身の短い剣をイシドロに渡し、モーガンが言った言葉だ。

 「夢」というキーワードに象徴される劇中の人物というと、真っ先にグリフィスのことが思い出されるのではないだろうか。何せ彼は夢を持たない生き方など、耐えられないと名言している人物である。

 キャスカの台詞はガッツへ、モーガンの台詞はイシドロへと、それぞれの場面に合わせて語られているが、暗にグリフィスのことを示しているとすれば、グリフィスは弱い人間で、夢という逃避がなければ生きていけなかったと解釈することもできるのではないだろうか。

 一方、ガッツはそんなグリフィスとは対照的だ。
 本人はグリフィスのような夢を持っていないこと、目的なく生きていることを悩んでいたものの、どんなに追い込まれても決して生きることを止めようとしないし、実際、人のまま生き続けている。生に対して貪欲なのだ。

 ガッツは親代わりであり、自らも愛情を求めていた存在であったガンビーノを意図せず殺めてしまい、彼の傭兵団を追われる。その際に矢を射掛けられ崖下へと転落し、気を失ってしまう。
 水に半身を浸しながら意識を取り戻すと、満点の星空が広がり、満月が浮かんでいる。
 そして、満月を見つめながら満身創痍、心も深く傷ついているのに立ち上がり、剣を持ってふらふらと歩き出すのだ。

何処へ行こうってんだ……?
あのまま倒れてりゃ楽なのに あのまま死んじまった方が……
いやなことだけじゃないか
何処へ……?

ベルセルク 4巻』より

  と、自問しながら。

 この場面を注意深く見ると、後にグリフィスが絶望を覚えるシーンと酷似しつつ、対照的である。

 馬車から放り出され、半身を水に浸しながら意識を取り戻したグリフィスが見上げているのは、夕暮れの空。
 起き上がり、ただでさえぼろぼろの体であったのに折れた右腕(夢を掴むための剣の柄を握る方の手、という意図ではないかと思う)を見つめて壊れたように笑う。
 そして、先の尖った流木のようなものを見つけて自ら命を断つことを試みるものの、それすら叶わずに嗚咽するのだ。(12巻)

 絶望のなか立ち上がったガッツとは真逆だ。

 グリフィスは夢のない生き方は耐えられない、と言いつつもガッツだけが唯一人夢を忘れさせたとも自覚している。(12巻)

 グリフィスにとっての夢(自分の国を手に入れる)とは、生きていくための手段であったため、その手段を持たずとも逞しく生きるガッツは非常に眩しい存在だったのではないだろうか。そのため、夢<ガッツ の図式が成立するのではないかと思う。

 前置きが長くなったが、以上のようなことから、グリフィスがガッツに対して持つ強い思いの根底にあるのは、「自分にはない、どのような困難においても自ら立ち上がるその強さ」に対する憧憬や畏怖ではないかと推測する。

 

グリフィスがガッツと鷹の団の仲間達を捧げた理由

「すべては因果の流れの中に」と言ってしまえばそれまでだが、それでは身も蓋もない。因果には必然性が必要なので、これまでの流れから考えてみたい。

 深紅のベヘリットが血涙を流し「蝕」が起きる直前、ガッツとキャスカの会話によってグリフィスはガッツが出て行った理由を知っている。
 ガッツは自分と対等の存在になるために、友になるために出ていったのだ。
 それを知り、グリフィスは「どうして終わったり なくしたりしてから いつもそうだと気がつくんだろう」とガッツと全く同じように述懐している。(12巻)

 しかし、今のグリフィスはすでに再起不能でひとりで立ち上がることさえできない。
 ガッツへ対し、先に挙げたような彼の持つ強さに憧憬や畏怖のようなものを持っていたとすれば、グリフィスがガッツと対等でいようとするためには、もはや転生するしかなかったのではないだろうか。

 グリフィスはガッツと仲間達を捧げることで、ガッツと真の友になろうとしたのではないか。
 しかも、あのガッツならばどのような状況になったとしても生き残るかもしれない、とすらどこかで思っていたかもしれないし、望んでいたのではないかと思う。

 

フェムトへ転生した後のグリフィスは何を考えているのか?

 転生後または受肉後のグリフィスの心理描写は非常に少ない。

 フェムトの姿で「…まだ… そんなところを這いずり回っていたのか」「貴様は這いずり回る生贄にすぎん」と、蔑みとも挑発ともとれる言葉をガッツ投げかけたりしているものの(3巻)、その意図は定かではない。

 もし蔑みだとすれば、転生前人間であった頃の思いは区切りがついて新たな生(生と言ってよいのかどうか分からないが)を歩んでいると思われるが、挑発だとすればやはりガッツを友として思っているとも考えられる。

 また、受肉後、剣の丘に現れたグリフィスはガッツに向かって以下のように言っている。

確かめに来たんだ
この新しい肉体で おまえの前に立って 心を揺さぶる何かがあるのか
どうやら オレは自由だ

ベルセルク 22巻』より

  この言葉からすると、転生前の思いはきれいに消化されているようにも思える。
 しかし、ゾッドと戦うガッツを眺めながら――

鼓動……

微かに高鳴っている

オレの血は凍てついたはず

…これはオレの器となり融け合った あの赤子の想いか

 

ベルセルク 22巻』より

 と、独白している。

 

 その後、ゾットの手のひらの上に乗って飛び去っていく際にはキャスカを落石から守ったことを思い返し、再び胸の高鳴りを覚えているようである。これもキャスカとガッツの子である妖魔のせいなのか、グリフィスの自我によるものなのか、どちらともとれるように思う。

 その後も表情は無表情が多く、意味深に佇んだりしているだけでその思いが語られる場面や特定できるような描写はない。

 しかし、ガニシュカ大帝の最期(34巻)やテレジアの父・「伯爵」の二度目の「降魔の儀」の様子を踏まえると、転生したあとの使徒は、必ずしも人間らしい感情を失う訳ではないようである。
 それどころか、そもそもの転生のきっかけになった人間時代に味わった辛い思いをよく覚えているようだ。彼らの蛮行はそれが原動力になっていることも少なくない。
 ゴッドハンドであるフェムト(グリフィス)が当てはまるかどうかは不明だが、この流れからすると、転生前の体験や思いが、きれいさっぱり消えている可能性は低いのではないかと思う。

 現状でほどんとそれが描かれていないのは、物語の結末に関わってくるからではないだろうか。

 

グリフィスとガッツの因縁の決着は?

 ストーリー自体はどんどん世界観が広がっており、多くの人物達が登場し、複雑に絡み合っている。

 伏線もばら撒かれ続けている。そちら側から予想しようとすると、まだまだ明かされていない要素もありそうなのでかなり難しい。

 

 述べてきたようなグリフィスという存在とガッツとの関係性という観点から、ストーリーの終着地点を示唆していそうなものに以下をあげる。

皮肉なもんだぜ 神さまにすがって
あの塔に逃げ込んだ連中が自分達の重さで塔を倒しておっ死んで
逆に神にすがらず一目散に逃げ出した不信心者達の方が生き残った
実際 もう二度とお祈りする気にはなれねぇわな

 

生き延びようとすることと
恐怖から逃れようとすることはべっこのことだよ
恐怖に我を忘れて周りに流されずに最後まで生きのびるために
行動した者が順当に生き残ったんだ

 

ベルセルク 21巻』より、ジェロームとルカの会話

  グリフィスは夢を追う生のことをシャルロットとの会話のなかで「”夢”という名の神の殉教者」と表現している。(5巻)
 劇中では神にすがる者、すがろうとする者はいずれもうまくいっていない。ファルネーゼの変化もそれを象徴しているように感じる。

 では、信奉の対象となりつつある受肉後のグリフィス(神)はどうだろうか。
 神にすがろうとする者が駄目なのだから、神になろうとする者もどうも身を滅ぼしそうな気がしてならない。

 さらに――

人は強いってだけで
誰かを傷つけてしまい
弱いってだけで誰かを憎んでしまう
(中略)
同じ弱さと同じ罪を背負ったこの人と 一緒に行こうと思うの
この人とならお互いにほんの少し強く 優しくなれそうな気がするから

ベルセルク 21巻』より

 ヨアヒムとともに旅立つことを決めたニーナの言葉である。

 強い人をガッツ、弱い人をグリフィスとして読むと感慨深い。


 ガッツの強さがグリフィスを傷つけ、グリフィスの弱さがガッツを憎んだのだとしたら、種類は違っても二人は同じ罪を背負ったとも考えられる。
 そして、少なくともガッツは自分がグリフィスにそうさせてしまったのかもしれない、ということを自覚していると思われる場面が劇中にたびたびある。

 一見完璧で隙がなく「光」を象徴するようだが、すがるものがなければ生きていけなかった弱さを内包するグリフィスと、常に思い悩み手負いの獣のようだが、芯には揺ぎない強さを持つガッツ。


 グリフィスは鬼畜の所業に及んだわけではあるが、このまま「弱さを抱えた者はこじらせた挙句、破滅する」という結論では居たたまれない。恐らく、ガッツがグリフィスを討ってめでたし、めでたしという訳にはいかないのではないだろうか。

 二人がどのような結末を迎えるのかは、キャスカ次第かもしれない。

 キャスカはグリフィスの弱さを知っていたし、グリフィスも自身の弱さを受け入れてくれる存在だと思っていた節がある。
 しかし、そのキャスカすらガッツは奪ってしまいそうだった。
 というか、奪っていた。奪い返していたけれど。
 その結果キャスカは退行してしまって、傍から見ると心はどちらのものか分からなくなった。
 近く(恐らく次回の351話で)、キャスカの心の有り様が明かされそうなので、それを待ってまた改めて考えてみたい。

 

 

 

……一個人の見解なので、真に受けてはいけないし、同じものを見てどのような思いや考えを抱くかは各々の自由だ。