どうでもいいこと

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【ベルセルク考察】キャスカ退行の原因は、自分で自分を受け入れられなかったからでは?(7400字=読むのに約10分かかる)

 以前、「一見完璧人間のグリフィスはガッツに対し、憧れや恐れがあるのでは?」でキャスカがキーポイントになるのではというような趣旨のことを書いた。その際は、2017年6月23日発売のヤングアニマル第29巻第13号でキャスカの心の有りようが明かされそうなので、それを待ってまた考察してみたいと考えていた。

 しかし、明かされなかった……。

 そして休載――

 無念である。


 三浦先生のご健康と連載再開を祈りつつ、あんまり悔しいのでキャスカの心の有りようと、退行から回復したら彼女がどうするのか考察してみたい。

 

 今回は、劇中の彼女の言動をもとに心理学的見地からの考察を試みたいと思う。しかし、書いている人は若干心理学をかじった程度(大学がそっち系)であり、しかも、残念ながら、おおいに関係がありそうなユングに全く詳しくない。教科書や参考書籍をひっくり返しながら、あまり素っ頓狂なことにならないように進めていきたいが、あくまでもお遊びの範囲として読んでいただけると嬉しい。

 

 毎度ながら、多数の台詞を引用しているので、断片的ながら濃くネタバレしている。未読の方は控えた方が良いし、気になった方はぜひコミックスを購入して確認してみていただきたい。

 

目次

 

キャスカが退行した原因

 キャスカはジュドーピピン、コルカスらと多くのモブとともにグリフィスの起こした「蝕」に巻き込まれた。その際に眼前で仲間達がむごたらしく殺され、ピピンジュドーに守られつつも彼らも命を落とす。


 そして、その後フェムトへと転生したグリフィスにガッツの目の前で陵辱され、骸骨の騎士に助け出された後、蝕を免れたリッケルトに手当てされるも、ガッツが目覚めたときにはキャスカはすでに以前の姿ではなかった。

 

 流れは上記のとおりであるが、直接的な原因が何であるかを考えると案外難しい。
ざっと書き出すだけでも、幾通りか考えられる。

 

①仲間達がむごたらしく殺されたことによる悲しみ
②フェムトに陵辱されたこと自体の悲しみや怒り、落胆など
③ガッツの目の前でフェムトに陵辱されたことによる、悲しみ、恥ずかしさなど
④グリフィスが仲間を売ったことによるショック
⑤①~④が混ざり合って

 

 自分は①から⑤のいずれでもなく、「フェムトの行為に喜び(もしくはそれに類する感情)を持った自分を自分で受け容れられなかったから」ではないかと考えている。その理由を順を追って書いていきたい。

 

 

幼児退行という現象を、うすっぺらい心理学の知識で一生懸命考えてみる

 真っ先に思い浮かんだのは、フロイト精神分析理論の「防衛機制」である。
 フロイトは人の心的装置をイド(エス)、超自我、自我の三層に分けて考えている。

 

乱暴に言うなら、下記のような感じ。

イド(エス)→自分のなかの悪魔
自我→意識できている自分
超自我→自分のなかの天使

 

 たとえば、100万円を拾ったとする。悪魔は「自分のものにしちゃおう!」という言うわけである。そして、天使は「失くした人が困っているから、交番に届けよう」などとささやく。そこで自分は悪魔と天使両方の言い分を聞きながら、最終的にどうするか決断を下す。この決断は自分の意向だけでなく、社会的制約(ネコババが許されるような風潮か、現実的に罪になるのか)や条件(誰かに見られたか)なども加味される。

 

 このように人は「原始的欲求」と「後天的に身に付けた倫理観」などの狭間で、環境や状況などを加味して日々現実に適応するために選択を行っている、というのが、ものすごいざっくりしているが、フロイト精神分析論というやつではないかと思う。(間違っていたらすいません)

 ちなみに、イド(エス)は無意識的、超自我も大半は無意識的であるとされているようなので、例えにあげた悪魔のささやきや天使の諫言は基本的には無意識的(自動的)に行われており、本人はそのプロセスを認識できない。

 イド(エス)と超自我のはざまで、自我はいつも葛藤して不安にさらされている。その自我を守るためのはたらきが冒頭で述べた「防衛機制」である。

 防衛機制にはさまざまな種類があるが、有名なのは「抑圧」つまり「我慢」である。
先にあげた例ならば、100万円を懐に入れてしまいたいという欲求を抑圧=我慢し、人は交番にそれを届けたりする。

「退行」は防衛機制のひとつで、抑圧を我慢とするなら、幼児退行は「逃避」ということになるだろうか。辛い現実から目を背け、守られるべき存在だった子ども時代に返ることで、自我を守るのである。

 

 

劇中の描写よりガッツとグリフィス、それぞれへのキャスカの感情の推移をまとめてみる

 

キャスカのグリフィスへの感情(グリフィスが再起不能になる前まで)

みじめで無力な一人の娘を哀れんで神様が天使を遣わされた…
12歳の私には一瞬 そんな風に思えた


ベルセルク 6巻』より

 貧しい家庭に育ち、貴族に売られ、乱暴されそうなところをグリフィスに助けられる(正確には、戦うかどうか選ぶチャンスを与えられる)という鮮烈な出会いから、その手腕や美貌もあってかグリフィスに心酔していた様子である。
 ジュドーがその状態を以下のように端的に示している。

 

キャスカにとってグリフィスの言動は預言にも等しかったのだから


ベルセルク 9巻』より

 

  預言とは神の意思や予告である。
 つまり、キャスカにとってグリフィスは神にひとしい存在だったというわけだ。

 

…私はあの人の… 隣りにいたい
あの人が自分の夢にすべてを捧げるなら……
あの人の夢が戦い切り開いて行くものなら
私はあの人の剣になりたい


ベルセルク 7巻』より

 

 

 

前におまえに言ったよな
私はグリフィスの隣にいたい……あの人の剣になりたいって
…あれはほんとじゃない
あれは私がこうありたいと望む私 強がりだ
確かに最初は純粋にそう思っていた…
だけどある日気がついたんだ
グリフィスは神ではなく……そして私は女なんだって……
(中略)
女としてグリフィスに寄り添えなくても 剣としてなら
夢を実現させるために欠かせないものになれるのならば それでもいいと……
思っていたかった


ベルセルク 9巻』より

 

  グリフィスに想いを寄せつつも、彼の夢の実現のためにはシャルロット王女と婚姻を結ぶ必要があるため、無理だと悟っていたキャスカ。
 ならばせめて、夢の実現に欠かせない手段になろうとしていたようである。

 

 

キャスカのガッツへの感情(グリフィスが再起不能になる前まで)

言ったことない………
グリフィスは 誰にも あんなこと……
言ったことない!!

注)あんなこととは、グリフィスがガッツへ言った言葉「おまえが欲しいんだ ガッツ」

ベルセルク 4巻』より

 キャスカのガッツへの感情は、「脅威」として始まっているようだ。入団直後、ガッツに殿(しんがり)を任せたばかりではなく、窮地を助けに行った一連のようすを複雑な思いで眺めている(4巻)キャスカが心酔するグリフィスにとってガッツが「特別」になりそうな予感があり、気が気では無いようだ。

 

 そのような思いがあったためか、ガッツに対しては何かとつっかかることが多く、当のグリフィスにも「お前らほんっとに仲悪いな」と言われている。(5巻)

 

 キャスカのガッツへの感情が変化しはじめるのは、ドルトレイ攻略の前哨戦にて、ガッツとともに崖下に落下した際のことである。ガッツに対し、自身のグリフィスへの想いとガッツへ抱いてきた「嫉妬」のような思いを赤裸々に語っている。その後、キャスカを庇い、百人斬りを成し遂げたガッツもキャスカに対し、胸の内を語ったことでふたりの距離は近づいていく。(7巻)

 

 ただここで注目したいのは、キャスカは「傷心」であったことだ。

 キャスカは出陣の直前にシャルロット王女がグリフィスの身を案じ、グリフィスもそれに応えている場面を見せ付けられ、あげく、彼を守って欲しいなどと言われている。後日の戦勝祝賀会で、髪を結い、ドレスを着た際には自分の格好がおかしくないか、似合っていないのではないかと気にしていることからも(8巻)、同じ女性でありながら、着飾ったシャルロット王女と短い髪に男装の自分を比べ、みじめな気持ちにさえなったかもしれない。

 思いを寄せる男性に守ってもらうどころか、他の女性に彼を守って欲しいとまで言われてしまったキャスカにとって、その身を挺し、命懸けで守ってくれたガッツの行動はさぞ嬉しかったことだろう。(しかも、このときグリフィスは軍議で不在。救援隊にもその姿はなかった)

 

……私は

望んでいる……?

居てほしいと…

あいつに居てほしいと…………

望んでいる?

 

ベルセルク 8巻』より

 

 キャスカがガッツへの思いを自覚するのは、折りしも鷹の団を出て行こうとするガッツとそれを引き止めたいグリフィスの決闘の直前である。その後はご存知のとおりだ。

 

 ここでまた注目したいのは、キャスカとガッツが再会し、結ばれたときのキャスカはグリフィスの生死や状態、事の経緯も分からないまま執拗な追撃を受け続けてきたばかりか、グリフィスの女にも剣にもなれないことも悟り、「傷心」どころか心身とも疲れきって憔悴していたことである。

 

 

キャスカのグリフィスへの感情とガッツへの感情(グリフィスが再起不能になった後)

 ガッツと結ばれたものの、グリフィス救出に向かったキャスカはまだかなり揺らいでいる様子である。


 グリフィスへの恋慕を率直に表すシャルロットに嫉妬し、それをガッツに謝ったりしているくせに、ガッツがシャルロットを背負う際にはまた嫉妬するような表情を見せている。(10巻)一方では、窮地に陥った際はガッツを頼るような素振りを見せたり、ガッツを心配して泣いたりもしている。

 

 いちばん大きく揺らいでいると思しき場面は、馬車のなかでグリフィスに抱きつかれた場面だ。


「やめ…!!」と言いかけて拒絶しようとしたものの、震えているグリフィスに気がつき、なだめるようにその背に手をおいたあと、ひとりで馬車の脇に座り込んでいる。(12巻)このときキャスカはかなり動悸が激しいようだが、その感情は定かではない。


 驚きともとれるし、動揺ともとれるし、胸の高鳴りともとれる。


 ただ、その後ガッツにどうしたのかと問い詰められて「やめて…!! 違うんだ!!」と声を荒げている。
 この様子からは、どこかガッツに対して後ろめたいような感情を覚えたようにも見えなくない。単なる驚きや動揺ならば、今起きたことを話してもおかしくないのだから。

 この後キャスカはガッツに対して、「あんな状態のグリフィスをおいてはいけない」という理由で、鷹の団を後にしてガッツと同行する約束を反故にしている。

 

 

理想の男はグリフィス 現実の男はガッツ?

たとえどんなに尽くしても決して一緒になれない男を思い続けるのが……
女にとって幸せなんてことがあるのかね?

惚れた相手なら 抱かれたいと思うのが普通だろ?

 

ベルセルク 8巻』より

 これは、ジュドーの台詞である。

 ジュドー自身もキャスカに思いを寄せつつ、キャスカがグリフィスに崇拝に近い感情を持っていることも、そのなかでガッツと距離が近づいていったことも知っている。

 

 キャスカのグリフィスとガッツへの思いはまさに、こういうことではないだろうか。再起不能になる前のグリフィスは、キャスカにとってどう足掻いても一緒になれない男だったし、辛いときに現実的に側にいてくれたのはガッツだった。悪い言い方をすれば、ガッツは現実的に考えて(無意識にでも)妥協した相手だったといえなくもない。

 しかし、政略結婚する必要もなくなり、介護すら必要になったグリフィスは、決してどう足掻いても一緒になれない男ではなくなった。それどころか、「フェムト(グリフィス)は「蝕」のとき、なぜキャスカを陵辱したのか?」で書いたとおり、当のグリフィスもそれを一瞬でもイメージした節さえある。グリフィスの心の機微に敏感なキャスカが、果たしてそれに全く気がつかないだろうか。

 

 

やっぱり、嬉しかったのでは?

 大分前置きが長くなっているが、ここで退行の原因に話を戻そう。

 退行が防衛機制の一種として描かれているとすれば、キャスカはイドと超自我のあいだで激しく葛藤し、自我がそれをうまく調整することができず、適応できなかった結果と考えることができる。


 では、このときキャスカは一体なにと何のあいだで葛藤したのだろうか。

 問題の場面のキャスカの様子をあらってみよう。


 当初意識を失っていたか、朦朧としていたキャスカは途中で意識をはっきりと取り戻し、間近に迫ったフェムトの顔を見つめ「グリ…?」と呟いている。これはもちろん、「グリフィス?」と言おうとしたのだろう。キャスカはその相手がグリフィス(フェムト)であるとしっかり認識している。

 抵抗することは物理的に不可能な状態で、彼女はそれをただ受け入れざるを得ないようにも見えるが、ここに至るまでのキャスカがグリフィスとガッツに抱いていた感情をふまえると…

イド・エス→喜び
超自我→ガッツの前で喜ぶことなど許されるわけがない
自我→調整不可能

 となったのではないだろうか。

 なにせ、グリフィスはキャスカが崇拝に近い感情を持っていた、手の届かないはずの男性である。しかも立つこともままならなかったはずなのに、なぜか回復していて、かつての姿なのだ。(外見的な意味でなく)

 

 もしも、グリフィスの許しがたい裏切りによって仲間達が次々と無惨に殺され、自分も尊厳を踏みにじられたことによる深い悲しみや怒り、やるせなさが原因であるのならば、退行でなく別のなのか……知識が乏しいのでアレだが、例えばPTSDなどの症状の方がしっくりくるようにも思う。

 

 ただ、イド(エス)というのは快楽原則に従う原始的な欲求なので、もしくは、

 

イド・エス→実は仲間達が無惨に殺されるのを喜んでいた
超自我→そんなこと喜んでいいわけがないわ!
自我→調整無理

 

 と考えられなくもないが、ガッツに対して「見ないで」と言ったまでは、キャスカの自我は保たれているので、それも違うだろうと思う。仲間達はもっと前の段階でむごたらしく殺されている。

 

 大分推定の部分も多いが、以上のような背景と心理学的視点から、自分はキャスカ退行の原因は「フェムト(グリフィス)の行為に喜び、またはそれに類するものを覚えた自分を、自分で受け入れられなかったから」ではないかと考える。

 

 当然であるが、これはあくまでも劇中の人物間の関係に基づき考察したものであって、女性の尊厳を軽視する意図や、フェムトがキャスカにしたような行いを是認する意図はないことを断っておきたい。

 

 

自我を取り戻したとき、キャスカは?

 コミックス最新刊39巻には、キャスカの夢のなかの様子が描かれている。
 冒頭で述べたように、書いている人は心理学をちょっとかじった程度で、しかもユングに全く詳しくないし、臨床にも関わっていないので夢判断などと大それたことはできない。

 

 無意識と夢の関連から夢の分析を重要視したユング心理学によると、夢というものは、無意識を知るために有効な手がかりになるというが、たいていはあまり脈絡がなかったり、突飛であったり、抽象的であったりするようだ。

 

 キャスカの夢では具体的なものと抽象的なものがある。
 具体的なものは意識に上がっているもので、本人も受け容れているものなのかもしれない。

 

 ばらばらになったキャスカの人形が納められている棺には、旧鷹の団の紋章がある。
このことから人形は、鷹の団の団員であったキャスカ、つまり社会的な彼女の姿を象徴しているように思えるし、小さなキャスカはいち個人、ひとりの女としてのキャスカを象徴しているようにも見える。


 棺を引く犬(ガッツ)は、頼りになる鷹の団の幹部、というキャスカの社会的なパーソナリティに執着している(つまり、キャスカがそう思っている)ことを表しているようにも見える。

 

 コミックス未収録の最新話ではいよいよ中心と思われる「針山」に一同は踏み入れている。そこにはけったいな怪物がうごめいているが、この怪物、よく見るとなにかに形状が似ている。男性器にそっくりなのだ。彼女の夢に出て来る化け物が象徴しているものは、フェムトの行為ではないだろうか。

 

 もしここで書いたようなことが起きているとすれば、キャスカが自我を取り戻すには自分にとって受け容れがたい思いを知り、受け容れなければならない。


 だとすればガッツとの決別は避けられないし、ガッツに好意らしき想いを寄せていると思われるファルネーゼとシールケの感情も損ないそうである。しかも、キャスカの夢の中に入っているのは、そのファルネーゼとシールケだ。

 

 グリフィスの元へ行くには現実的には生贄の印があって難しそうであるし、感情的に揺らぎやすく、倫理観の強いキャスカが心情的にもそこまで吹っ切れるとは思えない。

 

 だとすれば、考えられるのは以下四通りくらいだろうか。

①何らかの偶然を経てリッケルトパーティーに合流
②10巻の二の舞(死を選ぶ)
③ガッツ所持のベヘリットの出番
④すったもんだでララァ・スン(グリフィスとガッツのあいだに入り、どっちつかずのまま退場)

 

 いずれにせよ、ガッツの元からは去るのではないかと自分は考える。

 

 

 以上、薄っぺらい知識を用いて考察した。
 薄っぺらいので、間違っている部分やニュアンスが正確でない部分がきっとある。的外れなこともあるだろう。

 真に受けてはいけない。

 

 


 連載再開は冬、か……。
 それまでにもう三周くらいは読み返して、最新刊を最大限に楽しむために助走をつけておこうと思う。